自殺という病死です
毎日、生きていると嬉しいことと悲しいことが、
まぜこぜで起こります。
この仕事をしていると嬉しいことも沢山ありますが、
悲しいことも、同じように沢山あります。
実は、昨日ブログを落としたのは、
仲間のギャンブラーの自死のニュースが飛び込んできたからです。
以前いた施設で、私が関わったクライアントでした。
お母さんは、もちろん私の仲間です。
一度回復したギャンブラーは、
何をやれば良いのか分かっているはずですが、
再発してしまうと、もう一度やりなおすことが、
しんどくなってしまったり、
自分にはプログラムは効かなかったと、
間違った思い込みをしてしまいます。
そして、絶望して死を選ぶ。
残された、ご家族も、私も、
その他関わった人たち全員が、
「自分が間違っていたのでは?」
「他にできることがあったのでは?」
と苦しくなります。
こんな時、残されたご家族とお話しすると、
ご家族は皆、ご自分を責めています。
「それは違う」と慰める私もまた、
心の中で自分を責めているのです。
この仕事何が辛いって、自殺の二ュースを聞くことが、
一番つらいです。
「あぁ、嫌な仕事だなぁ。辞めたいなぁ。」
と思う時は、こんな時です。
でも、泣いてもいられない。
困っている人は、あとを絶たないからです。
どんなに悲しくても、再び立ち上がり、
前を向く。
私に残された道は、それしかないのですから。
今、有り得ない位の努力をして、
ギャンブル依存症対策を推進、啓発するために、
発信し続けています。
頑張っているのは
「ギャンブル依存症で自殺する人をゼロにしたいから」
究極の思いはそこです。
依存症者の自殺を私たちは病死と考えています。
病気が進行すると、自殺を選ぶのです。
「依存症という病気が最後は死を選ばせる」
だからこそこの国は、
依存症の早期介入ができるように、
様々なことを変えなくてはならないのです。
それを提言するのが私の役割だと思っています。
死んでいった仲間達のメッセージを、
必ず私が生かしてみせる。
そう思っています。
お別れをしたくて、今日ゆりの花を買って来ました。
部屋に飾ると、その美しい白さは、
私を再び立ち上がらせてくれました。
ゆりの花の花ことばは、
「純粋」「無垢」「威厳」
純粋、無垢に生きた仲間のために祈りました。
助けてあげられなくてごめん・・・
合掌
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匿名でスミマセン。
奈良の施設卒業生でGAメンバーです。
その仲間に、お疲れ様とアリガトウを。。。
僕の通うグループでも
最近、仲間を失いました。
これ程やり切れず、
無力感を味わう事はないし、
取り残された感は半端ないし、
二度と経験したくない。
もっとやれたことはないか?
こうしていれば・・・とか。
んで結局、メッセージを伝えようとした以上に、
メッセージを受け取っていることに気づいたり。。。
「有難う」って、
「この世にあるのが難しい」ってことを学ばされた。
僕の勝手な想いですが、
彼(彼女)は闘い抜いた気がします。
正面から堂々と病気と闘って、
白旗をあげた。そんな気がします。
そもそも闘う必要なんか、なかったと言えば
それまでかもしれない。。。
でもそこには手放せない深い愛情、
裏返しの後悔・罪悪・自虐・プライド、
何か仁義を貫きたい想いがあったと感じます。
良く言えば、侍。日本男子。愛すべき人。
悪く言えば、「何も誰も悪くない。。。」
『見せかけの災いは、実は、私たちにとって
恩恵となっていることが多い。なぜなら、
それによって神を知る道がひらかれるから。』
(AA.P169.L5)
そう思えない時こそ、そう信じるほかないと
本気で信じる。
だから、有難う。今日は生きてる。
仲間からのメッセージを受け取って、
命つなぐ決意。
『大和は 国のまほろば たたなづく 青垣
山ごもれる 大和しうるはし』