1983年・・・です

公開日: 

本日は、デビット・ボウイさんの訃報が駆け巡った1日でしたね。
私は、たけとワークとミーティングで、仲間とHOTな一日を過ごしており、
その途中、ちらりとTwitterでこのニュースを見て、
「えっ!?」と思ったのですが、バタバタと慌ただしく、やり過ごし、
やっと先ほど、夜、お風呂に入りながら、じっくりネットニュースをみて、
感慨にひたることとなりました。

享年69歳。早すぎる死に多くのファンが悲しみにくれていることでしょう。
合掌。

私たち世代の人は、デビットボウイさんが日本で大人気を博した時代に、
青春がありました。
この年に大ヒットした大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」は、
坂本龍一さん、ビートたけしさん、そしてデビットボウイさんという、
大物スターを起用した名作で、ビートたけしさんがたどたどしい英語で
「メリークリスマス!ミスター・ローレンス」と言うセリフと、
坂本龍一さんの代表曲ともなった、あの美しいサウンドトラックは、
皆さん記憶されているのではないでしょうか?

実は、この私、当時付き合っていたBFが、
デビットボウイさんの大ファンで、私自身もその影響で、
1983年と言えばデビットボウイさんと、そのBFの一色に染まった1年でした。

当時「Let’S Dance」という曲も大ヒットし、
日本武道館にも来日されたので、そのBFとコンサートにも出かけ、
気が狂ったように踊って踊って踊って踊りまくったことを覚えています。

但し1983年は、私にとっては、
まさに大ピンチのターニングポイントの年で、
この年の事を想い出すと、暗くどんよりとしたグレーな気持ちになります。

楽しかった高校時代と、バブルに向かって日本中がお祭り騒ぎだった、
短大~OL時代に向かうはざまで、まさに私は人生のブラックボックス、
迷走に迷走を続け、将来の希望など全くなく、何をやれば良いのか?
これからどうなるのかも全く分からない、
4畳半アンニュイ青春時代を送っていました。

高校は卒業したものの、何をするでもなく、
一応身分は浪人生を名乗っていましたが、
勉強は全くせず、予備校にも通ってみたのは最初だけで、
あとはひたすらこのBFとブラブラひがな一日を過ごしていました。

今思えばこの3歳年上のBFが、
どうしようもない「だめんず」だったんですよね。

ギャンブル依存症ではありませんでしたが、
今でいう、ひきこもりとフリーターの間を行くような人でした。
お金がなくなると、時々アルバイトに行くけれども、
それ以外は、ひたすらアパートでゴロゴロするかあとは麻雀。
私も、もちろん麻雀が大好きなので、
この時が生涯で一番麻雀にハマっていたかもしれません。

一度だけ、その年にオープンした東京ディズニーランドに出かけ、
でっかいミッキーマウスのぬいぐるみを、
お土産に買って貰ったことを覚えています。
そう言えば、あのぬいぐるみどうなったんでしょうね?

「このままじゃいけない・・・」
何度も何度も思いましたけど、
ずるずると関係は続いていました。

あの時の私は、将来何がしたいとか、どうなりたいとか、
本当に何の夢も希望もなかった気がします。
ただ、高校3年の終わりごろから付き合いだした、
このBFと、怠惰な生活に堕ちて行きました。

当時の私は、機能不全の家庭で育った、
病んだ自信のない、傷ついた女の子だったんですよね。
ちょっとばかし優しくしてくれた男性を、
「この呪われた家から救いだしてくれる、白馬の王子様」
のように感じてしまったんですよね。

そして付き合う男で、こうもダメになるのか???
というまさに「だめんずうお~か~」を地で行くかのように、
どんどん堕ちていってしまいました。

高校時代はあんなにバイトに明け暮れ、遊びも学校も充実していたのに、
全くそんな気になれず、まさに私自身が今でいうニートでした。
そしてこの1983年以外には、この私が、労働意欲もなく、
ただただボケっと、だらだら過ごした年など他にはありません。
そのまま行ったら、一体どうなっていたのか?
そら恐ろしい気持ちになります。

でも、当時の最大のピンチ、今思えば最高のチャンスが訪れ、
なんとこのBF他の女性とも付き合いだしたあげく、
お金をもっと効率よく稼ごうと思ったのか?
違法ポーカーゲーム喫茶で働きだし、逮捕されてしまったのです。

いやぁ、当時は分からなかったんですが、今思うとですよ、
なんて劇的な19歳だったんでしょうか。

しかも全く勉強もしませんでしたが、
「こうなったら大学に行って、華やかな青春を送って、
あの男を見返してやる!」と、
ちょびっとだけ最後の最後で勉強し、願書提出のギリッギリになり、
数うちゃあたるとばかりに、大学を11校も受けまくり、
たった1校だけ受かって、無事女子大生となり、
春からは、お立ち台でブイブイ言わせるような
青春を謳歌する女子大生になったのです。

こんな具合に1983年は、私にとって信じられない位、
くら~い1年であり、特別な想い出の1年間です。
でも、自分にもそんな一面が確かにあるんですよね。
共依存の私は、共依存を病んだ人に発症してしまったら、
どこまでも一緒に病んで行くのです。
そしてその最悪の経験を、私は早くも19歳で経験していたんです。

あちらが手ひどくふってくれて本当によかった!
神様に感謝します。

本当に、最後の最後に、彼とお別れしたのは、
最初の受験日の前日でした。
もうお別れは決定的なのに、
それでも未練がましくめそめそする私に彼はこう言いました。

「のりちゃん、のりちゃんはまだ若いんだから、
(自分も十分若いんですよ。まだ22歳なんですから(笑))
俺みたいなダメ男と付き合ってちゃダメだよ。
もっと、大きな世界に羽ばたいていきなよ。」

今でも、あの時の光景をハッキリと想い出します。
東京に大雪が降った日でした。

そして、あの時「なんて冷たいことを言うんだろう・・・」
と思った彼の言葉は、今では
「あぁ~、なんて有難い~。まさにその通り。
あの人も良いこと言ってくれてたじゃない!
分かってらっしゃる!」と、感謝、感謝です。

今日のたけとワークでも学びましたが、
時代も変われば、状況も変わる。
その時不幸と思ったことも、
後から見たら変化の最高のターニングポイントになっていたりします。
だからその時、その時を精一杯生きること、
その時前を向いて、できるだけ良い決断をすることが、
大切ですよね。

今の幸せを本当に嬉しく有難く思います。

クリックでランキングがあがります。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へ
にほんブログ村


依存症 ブログランキングへ
皆様、応援をお願いします。

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
PAGE TOP ↑