共感「ランドセルはいらない!」です

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今日、LINEのニュースに、
-児童養護施設のの保育士が本音。「ランドセルはいらない!」-
という記事が流れてきて、思わず見入ってってしまいました。
ランドセルはいらない

それは、こんなつぶやきがTwitterに流れたことが、
明かされた記事でした。
「すみません、児童養護施設の保育士として、正直に言わせて頂きます!
ランドセルはーいらないー(>人<;)!
タイガーマスク現象で、多くの方がランドセルを下さるのですが、
ランドセルくらい、本人の希望をもとに買ってあげたいのですよ…。」

そう!その通り。
激しく共感した私。
やっと自分の子供時代の気持ちを理解してくれた人に出会えた!
そんな嬉しさがありました。

昔、私が子供時代は、行政のお仕着せで、
母子家庭の子供には入学祝に、
一律に同じランドセルが贈られたんです。
最悪でした・・・

考えてもみて下さい、
「母子家庭の子供にランドセルを送ります!」って、
周りのご家庭皆が知ってるわけですよ。

そうなった場合、自分のうちの子供より、
タダで行政から貰った子供のランドセルの方が、
カッコよく高性能だった場合、
どういうことが起こるでしょうか?
当然苦情になりますよね。
はい、その通り。
だから当然クソださいランドセルが配られました。

ホント、嫌でしかたなかったです。
あのランドセル。

実際、母子家庭と言っても、皆が皆お金がない訳じゃないので、
そんなダサいランドセル使っていない子もいました。
いや、あまりにダサすぎて、むしろ実際使った子はいただろうか?
という感じの代物でした。

おまけにそのお仕着せ制度が中学でもあって、
私は、学生鞄とスポーツバックまで、
クソダサい行政からのお恵みを頂戴する羽目になりました。

自我が芽生える思春期に、恥ずかしくて仕方なかったですね。
あの鞄を持って歩くことが。

ですから小中と入学準備の喜びなど、
一度も味わったことがありません。

ついでに言えば学習机も、捨てられていたものを拾ってきて、
それを使わせられたので、なんだか古臭いダサいというより、
文豪が使う文机のような代物で、
それでも、それが我が家にやって来た時は、
ないよりマシだ・・・と嬉しかったことを覚えています。
本当に貧困家庭でした、我が家。
今思いだしても、貧乏は悲しい想い出しかないですね。

よくお笑い芸人さんの売れない貧乏時代なんて紹介されますけど、
好きで貧乏するのと、選べず貧困を余儀なくされるのとは、
意味合いが全く違いますからね。

児童養護施設の子供たちに、
「ランドセル位好きなもの選ばせてあげたい」
という気持ち、ものすごく痛いほど分かります。

気持ちを送りたいのであれば、
「現金」を送りましょう。
それが一番で、むしろそれしかいらないですよね。

自分の子供にしてあげるのと同じ気持ちで、
接していくのが一番です。
自分の子供だったら、
親が勝手にランドセル決めたりしないですよね。

まして中古品を送る人の気が知れません。
新入学の子供たちが、中古品を持たされる、
悲しさやみじめさを想像してみて下さい。

児童養護施設の子供たちなら、
なんでも送れば喜ぶだろうという発想には、
傲慢さ以外感じません。
どんな子供でも趣味や好みがありますよね。

かつて「母子家庭の子供はこれで十分」と扱われた私。
そのみじめさ、悔しさ、恥ずかしさは、
大人になっても消えることがありません。

「その悔しさをバネに、ここまで頑張った!」
などという美談も全くありません。
頑張れたことの裏側には、いつも愛しかなく、
みじめさから建設的なものなど生まれたためしがありません。

お仕着せはやめましょう。
それはあなたの趣味であって、
子供たちの趣味ではありませんから。

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