居場所感です

公開日: 

昨日より関西に来ています。
本日は、大阪の弁護士会で援助職の皆様向けに、
講演をさせて頂きます。

関係者の皆様とのシンポジウムもあり、
めっちゃ楽しみです。

昨日は、一足早く関係者の皆様と、
懇親会をさせて頂いたのですが、
ほぼほぼ初めてお話させて頂いたのに、
めっちゃ居心地の良さを感じたんですよね。

この「受け入れて貰える」という感覚って、
実に不思議だなぁと思ったんですけど、
人は、否定されないでそこに居られるということに、
何とも言えない居心地の良さを感じると思うんですね。

ところが、受け入れ先=安全とは限らないわけですよ。
私の場合、かなり長い間、ギャンブル場に居心地の良さを感じていたんですよね。
高校時代は、雀荘に通っていましたし、
20代の頃は、競馬場でバイトもしていました。
そして夫と競艇にはまった30代。

あの退廃的な空気や、
世間で言う「しょうがない人達」の集まりの中にいると、
どうしょうもない自分でも安心してそこに居られたんですよね。

誰にも否定されない居場所って、
今ではそれが自助グループにとってかわったんですけど、
昔はそれがギャンブル場だったんですよね。

だから何となく依存症には、居場所として惹きつけられる部分も、
大きいと思いますね。

でもって更に厄介なのは、この世の中、
悪い奴ほど優しいんですよね。

闇カジノだって、闇スロットだって、女に貢がせる人だって、
そういう危ない居場所というのは、
スリルを味わえる、優しい場所なんですよね。
もちろん表面的な優しさ、お愛想なんですけどね。

でも、そんな風に自分を受け入れてくれる経験がなかった人たちは、
その居心地の良さに、ひとたまりもないですよね。
「お金を使っているから居心地がいいんだ」
と頭のどこかでは分かっているんですけど、
でも、この居場所を手放したくないと、
ついついそこに通いつめちゃう・・・
依存症になる人たちには、そんな要素もあると思います。

だから逆説的に言えば、子育ての極意はこの、
「自分の子供を完全に受け入れる」ってことだと思うんですよね。
自分の不安感を、しつけと称して払しょくしようとしないことですよね。

子供なんて、しつけなんてしなくたって、
愛情さえ注いでおけば、良い方に向くもんなんですよね。
ひまわりみたいなもんですよね。
愛情を与えるから、愛情という太陽に向かって育つ、
ゆえに愛情にあふれた子供に育つんですよね。

そして真の愛情、つまり居心地のよさを、
安全安心の場所で得られる人、
受け入れ先に安全な場所を選べる人に育つんですよね。
今、安全な場所にすんなりいられる自分を見てそう思うんです。

かつての私は、居場所というのは、
交換条件がないと得られないと思っていました。
それがお金だったわけですが、
それは本当の居場所なんかじゃないんですよね。

「自分は何も差し出さなくても、ここに居てよい人間」
と堂々と思える人に育てたければ、
親はダメ出しを極力減らすことじゃないですかね。
黙ってたって、外でダメだしされる社会なんですから。

そしてそういうこの世に居場所感のある人って、
他人もありのまんま受け入れられるんだと思うんですよね。

そんなことをつらつらと考えました。
さぁ、今日もありのままの自分の良さを発揮できますように!

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[田中紀子の著書]
三代目ギャン妻の物語(高文研) ギャンブル依存症(角川新書)

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