母の人生です

公開日: 

昨日、一昨日と父の人生を垣間見たので、
どうせなら3部作ということで、今日は少しだけ母の人生を顧みたいと思います。

母というのは、私を生んだことで、まさに人生が一変した人だと思います。
というのも、叔父や叔母、祖母や亡くなった父、などいろんな人の話によると、
うちの母というのは若いころ、相当ブイブイ言わせていた人だったようなんです。

父も数回しかあったことありませんが、
母が再婚していないことに大層驚き、
「お母さんは、ものすごい遊び人だった!」と証言していましたし、
叔母も「当時流行った落下傘スカートを翻して颯爽と歩いていた。」
「美枝子ちゃんが、通ると男の人が、ひゅ~ひゅ~言って声かけてた。」
などと、よく話していました。

確かに若いころの写真を見ると、顔は大したことありませんが、
スタイルが良く、流行りの格好で映っています。
当時、三越本店にお勤めしているというのは、相当自慢できることだったらしく、
昭和30年代の夜遊びを満喫していたようです。

でも母は当時珍しく30歳までOLをやって下の弟たちを大学までやったので、
決して、贅沢をしていたわけではないと思います。
私もそうですが、若い女性なんてお金がなくてもいくらでも男の人がご馳走してくれるし、
なんとなく遊べるもんですよね。

しかしながら、私は、母のそういう若いころの武勇伝を聞いても、
まったくピンときません。
私の知る母は、貧乏で、デブで、どちらかというとデリカシーのない、
ただのおばちゃんでしかありません。
しかもバカがつくくらい、くそまじめな、うっとうしい人でした。

うちの祖父母というのは、母が出戻ってくると、
母にすべてを押し付け、自分たちはなんもせず、
母に文句ばかり言ってるような人たちでした。
そして、母もしょっちゅう喧嘩をしてましたが、
365日絶対に家にいて、毎日同じことを繰り返し、家族を養った人でした。
まず、母が留守にするなんてこと、私が成人するまで1日もありませんでした。
そして私のことをとにかく愛し、口うるさく保護したがり、
「りこ命」みたいな人でした。

ところがこの私、保護されたり、囲い込まれたりするタイプでは全くありません。
中1までは、私も母と蜜月状態で、べったりという感じでしたが、
中2からいきなりグレはじめ、高校ではもう母の言うことなど聞いた覚えなど1ミリもありません。

出戻ってきたおかげで、働かない両親の老後を背負い込み、
一人娘は、まったくコントロールが効かない状態で、
母は、あの数十年の間、何を支えに生きてきたのかな?と思います。
私なら、絶対自分がグレます、とてもまねできません。

我が家は皆が母の真面目さの上におんぶに抱っこだったのに、
全員が母の真面目さを軽視し、口うるささをうっとうしがっていた気がします。

ギャンブラーの父とも、祖父とも正反対。
もちろん私とも水と油です。

そして母は本当に気が小さい人、口だけ番長みたいな人でした。
私と祖父のような、超がつくほど遊び人にほとほと手を焼きながら、
それでもイネイブリングをし続け、
それでいて、外の人間と交渉しなくてはならない時などは、
絶対に、祖父か私を頼り自分ではやらない人なのです。

対する私と祖父。口八丁手八丁、度胸だけで世の中生き抜いてきたような二人は、
くそ真面目で、いざという時、意気地がない母を、どっかバカにしていました。
そして父も、母とは喧嘩ばかりで、全く大切になんかしなかったことでしょう。
でも、母が自分のすべてを犠牲にし、誰に笑われバカにされても、
一切の贅沢をせず、地道にコツコツ辛抱強く稼いでくれなかったら、
私たちは、飢え死にするところだったのです。
だから私たちは頭が上がらな過ぎて、母をバカにするしかありませんでした。

現在のギャン妻たちの状況を見たって母ほど強い人なんか見たことありません。
皆、離婚したら、自分と子供で精一杯。
実家に頼ることはあっても、実家の両親ごと丸抱えして、
たった一人で養った!なんて人まずいないです。

しかもその上以前にも書きましたが、虐待されていた従妹を引き取り、
母が育てていたのです。
にもかかわらず、その叔父にも最後は裏切られ、
お金をだまし取られそうになったのです。
丈夫で働き者、忍耐強くて、それでいて誰にも感謝されなかった・・・
それが母の人生です。

私が、母と仲良く話ができるようになったのも、まだほんの6,7年のことです。
依存症から回復し、12ステップをやったことで、生き方ががらりと変わり、
母を受け入れ、そして最近になってやっと母を愛することができるようになったのです。

母は今が人生で一番幸せな時ではないか?と、時々思います。
孫たちに慕われ、優しい婿さんに大事にされ、
娘の役に立ち、家を切り盛りし、お金の心配もなく、身体も元気です。

そして、今の我が家には、ファミリーシークレットがありません。
子供の頃、絶対に触れられなかった父の話題。
今やっとなんでも聞けるようになりました。
祖父母と母との確執話も、批判せずに流せるようになりました。

なによりも、重くて重くて仕方がなかった母の愛を、
今じゃ、受け入れたり、余分なものははねのけたり、
私自身が、自由自在に扱えるようになりました。
恐れる必要がなくなりました。

だから今はこの不肖の娘も、母を愛し、大切に思えるようになり、
母が死んだらどうしよう・・・「長生きして欲しい!」
と願えるようになったのです。
ここまで来るのが、遅すぎたけど、間に合わないよりはずっといい。

父からは、ギャンブル依存症者の家族としての経験を、
そして母からは重すぎる愛からの脱却を、
長い年月をかけて教えて貰ったなぁと思います。

こうしてみると、親子ってホンマ厄介で、
悲劇で喜劇だなぁ~と思います。
これからまた、どんな親子関係になっていくのでしょう?
楽しみで、ちょっぴり怖いです!

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
PAGE TOP ↑