祖父の秘密・母の告白・衝撃の一言!です

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父の死以来、母から過去の話しを聞きやすくなり、
知らなかった事実がボロボロ出てきて、
母が生きているうちに聞き取りで来て良かったなぁと思っております。

拙本にもある通り私は、祖父、父、夫がギャンブル依存症という三代目のギャン妻ですが、
祖父・父・夫がギャンブル依存症「三代目ギャン妻の物語」
祖父のギャンブル依存症には、大きなトラウマがあったことを、
今日初めて母に聞かされました。

祖父は、様々な商売に手を出した人ですが、
元々は、祖母の兄が風月堂ののれん分けを受けて、
中野で和菓子工場を経営していたところに、
職人として就職してきたのが祖父でした。

そのため祖父は、飲食業を好み、戦前は喫茶店から居酒屋へ、
そして戦後は悪名高いアスベストから建築資材店へと
商売替えをしたそうなのです。

当時の祖父は、ギャンブル依存症のため、麻雀仲間が迎えにくると、
ふらふらと出かけてしまい、お店をすっぽかすので、
祖母が大変だったようですが、それでも抜群の営業センスがあったので、
なんとかお金はまわっていたらしいのです。

ところが、なんと建築資材のお店をやっていた際に、
従業員にお店の運転資金から商品まで綺麗さっぱり全てを持ち逃げされ、
莫大な借金を抱えてしまったのだそうです!
そんな話し今日初めて聞きました。

そして、その日から祖父は廃人のようになり、
布団をかぶったまましばらくの間寝込んでしまい、
一切働かなくなったそうなのです。
「50を過ぎてこんな目にあうなんて・・・俺はもうダメだ」
祖父は、そう言ったまま、立ち上がれなくなったとのことでした。

しかし、その時の我が家は、
長女(母の姉)が共立女子大学の2年生
母が都立井草高校の3年生
長男(母の弟)開成高校の2年生
次男、三女(母の妹、弟)が小学生という、
なんとまだ全員が学生という状況だったのだそうです。

そこで、母が「高校辞めて働こうか?」と祖母に言ったんだそうですが、
元々校長先生の娘で、教育熱心だった祖母は
「今どき、高校ぐらい出てなくちゃしょうがない」と言い、
苦肉の策で雑貨屋をはじめ、祖母が働きながら、
母が学校の合間を縫って手伝うという生活が始まったのだそうです。
今日母は「まさにあれで人生が一変した・・・」と、言っておりました。

そして上の姉は大学を中退させられたそうですが、
さっさと高校を辞めて働こうか?と申しでた母に比べ、
上の姉は「絶対に中退したくない!」と頑固に言い張り、
1か月も口をきかなかったそうなのです。

更に下の弟に至っては、
「丁度、都立日比谷高校に空きがでたから、そっちに編入試験を受けてくれないか?」
と祖母が頼みこんだにも関わらず、「絶対に嫌だ!」と言い張り、
結局譲らなかったそうです。

その上、大学中退した姉は、その後、日動火災に就職したのですが、
すぐに会社の健診で結核が見つかり、殆ど働けなかったとのこと。
そのため、高校を出て母が三越に就職し、祖母が雑貨屋をやりながら、
下の兄弟姉妹の学費や生活費を稼いだそうなのです。

しかも、弟二人はそんな状況の中、私立大学にまで行くのですから、
性格が実に図太い訳です。
そして祖父は家計がなんとかまわり出すと、布団から起き上がり、
ぱちんこ三昧となっていったのだそうです。

いや~祖父にもそんなトラウマがあったんですね。
そう聞くと、少々可哀想になってしまいました。

でもって母は、自分は家のことを考えると、
仕事をやめられないなぁと思っていたんだそうで、
今日はなんと、こんなことを言いだしたのです。

「父親っていうのは、ギャンブルもするし、女好きでもあったし、
気に入らないと、すぐ殴る人だった。
私ら子供は、親だから殴られてもまぁしょうがないか・・・と思ってたけど、
母親のこともよく殴ってて、それを年中見てたからね~。
なんか母親が可哀想になっちゃったのよね~。
だから私が、家計をなんとか支えてやらなきゃ!と思っちゃったんだわ。
今思えば、母親と共依存だったんだよね~。」
と言うのです!

ひぇ~!これには驚きました。
さすがに私が一緒に暮らしていた頃は祖父は老人でしたから、
誰かを殴ったりすることを見たこともなかったですし、
それよりも何よりも、母が「共依存」なんて言い出したのには、
心底びっくりしました。

母は「依存症=バカ」と信じて疑わない人で、
「病気」などと言えば「甘えてんじゃないわよ」と鼻で笑い、私にも常々
「あんたそのボランティアみたいな金にもならないこと、いつ辞めるの?」
と口にし、1ミリも理解を示さない人だったのです。

ですから私も母に理解して貰おうなどという無駄な努力はやめ、
仕事の話は一切せず、本を出したことも、TVに出る時も、
母になど一度も伝えたことなどなかったのです。

私にとって母が「共依存」と認めるなんて、
まさに奇跡の瞬間!衝撃の一言です。
人って変わるものですね~。
私が、変えようと思っていた時は、1ミリだって変わらなかったのに。

そしておまけにもう一つ驚いたことが!
私にとって、ギャンブラーの祖父と言うのは、
決して嫌な人ではありませんでした。
子供の頃から、遊んでばかりいるので、私にとってはどうでもいい人でしたし、
むしろ口うるさい祖母のほうがうっとうしく、好きではなかったんです。

祖母は金にうるさく「孫なんか飼っておくもんじゃねぇ~」
というのが口癖で、口の悪い祖母に何度も傷つけられた記憶があります。

ところがその祖母が、私が小さかった頃母に、
「お前、加藤(私の父のこと)が、忍び込んできて、
紀子を連れて行っちゃうかもしれないから、
目を離すなよ!気をつけなよ!」
と言っていたそうなんです。

母は「ギャンブルの金以外の金がかかるのに、
夫が子供を欲しがるわけがない!1円だって払ってこないし。」
と思っていたそうですが、祖母は何度も心配していたとのことなんです。

「あんたのこと、かわいくってねぇ~、おばあちゃん」
とまで言うじゃありませんか!
へぇ~~~~~~~~そうだったの!?
おばあちゃん、私のこと心配してくれてたの!?
と、これもまたびっくり仰天しました。

あの、貧乏で生涯地味に、セコセコ生きていたダサい大人ども!
と実家のことをずっと思っていましたが、
なんかもう以外にドラマチックな人生!
じ~ちゃん、ば~ちゃん、そして母も、
精一杯やったんだね!と納得しました。

なんか我が家の様々な不可解な出来事が、
線でつながった感じがして、あ~スッキリです。

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現在国内の推定罹患者536万人(2014年厚労省)のギャンブル依存問題。
日本でもギャンブル依存症対策の導入を!
ギャンブル依存症対策を求める10万人署名プロジェクト

[田中紀子の著書]
三代目ギャン妻の物語(高文研) ギャンブル依存症(角川新書)

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