「なんでも病気のせいにするなよ」は真逆です

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最近は、依存症業界?を超えた、一般の人達に、
依存症の事をお話しする機会が俄然増えていて、
概ね皆さん良好に話しを聞いて下さいますが、
どうしても病気の所になると、
「なんでも病気のせいにするなよ」と、
引っかかるんですよね~。

つまり
「世の中の普通の人達は皆、節度を持って生きているのに対して、
依存症者は、自分の甘さや弱さを棚にあげて、病気と言えば、
許されると思っている。」
ということを思う訳ですよね。

でも、これって完璧な誤解じゃないですか。
許される?って何がどうなるってことを想像しているんでしょうか?

だって別に、借金が棒引きになったりしないし、
家族関係や人間関係がそれで自動的に修復されたりもしないです。
普通にそれら問題の改善に、回復してから取り組んでいきます。

でも、「病気」ということを認めて、
治療に向きあい、とにかく一旦依存行為を止めないと、
何にも出来ないし、始まらないですよね。

むしろ本当に必要なのは
「病気で許されると思うな」じゃなくて、
「病気を認めることから逃げるな」なんですよね。
世の中の人は、感情的じゃなく、
ちゃんと冷静に客観的に、何が社会のために役立つ考えなのか?
「そっちこそ、もうちょっと頭使おうよ」
って言いたくなるんですよね。

「病気に逃げるな」じゃなくて、
「病気から逃げるな」っていう、
社会の考え方や、励ましがあったら、
もっと依存症者って救われる気がします。

また、ものすご~く不思議なのは、
家族・当事者の中にも、
「病気」と言われることをものすごく嫌がる人達がいることですよね。

なんであんなに病気に対してネガティブなイメージがあるのか?
それも良く分かんないんですよね。
それも多分精神疾患だけですよね。
そういう人は多分「痛風だよ」とか「糖尿病だよ」と言われても、
そこは素直に認めると思うんですよね。

「病気」と言われて「そうだったのか!」と救われる人がいる反面、
すごく不愉快になる人達がいるのが、実に不思議なんですよね。

それと、ギャンブル業界の一部の御用学者にも、
問題をことさら過少に見せようとしてるんだか何だか?
「病気なんてない」みたいなこと言いだす人がいるんですよね。

じゃあ、こんだけ起きてる社会問題に対して、
「ギャンブルなくせ!」ってことにするっきゃなくなりますよね。
他に、解決策がなくなっちゃいますからねぇ。

だって、一部の人達の特殊な問題でかたずけるには、
無理があるくらい、表に出てきている問題だけでも、
頻繁に起きてますからね。

普通にちょっと冷静に考えたら、
「そうか病気として向き合って貰うことが、
結局一番早いし、問題が解決できるんだな。」
って結論にたどり着きますよね~?

「そこ否定してたって堂々巡りだよね」って分かるじゃないですか。
そもそもじゃあ普通の病気だって、
病気のメカニックなんか医者じゃない限り理解できなくないですか?
いや医者だって理解できてない病気も沢山あるわけで、
「理解はできないけど、これが効くんだよね。」
なんてことはこの世に沢山あるあるんだから、それでいいじゃん!
なんでみんなこのシンプルなことが、
依存症だと急に感情的になって、見えなくなっちゃうのかなぁ?って思うんですよね。

大体そう言う狭量な人って
「税金使いやがって!」とかっていいますけど、
そんなたいして払ってないでしょうよ~と言いたくなりますね。
だって庶民なんか皆、払った税金以上に、この国の恩恵を受けていますよね。

第一私ら公営ギャンブラーは、
ギャンブルで使って国に福祉費をたんまり寄付してますからね。
回収できないくらいに。

もうね~ぜ~んぶ勘違いなんですよね。
冷静に考えればすぐにわかることなんです。

「病気」って認めちゃった方が、
経済効率的にも、社会治安的にも、
一番よい最短な解決への道なんだってことに。

問題は我々の説得力、発信力といった、
プレゼン能力だけですかね。
皆さん、そこ腕磨きましょう!

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現在国内の推定罹患者320万人(2017年厚労省)のギャンブル依存問題。
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[田中紀子の著書]
三代目ギャン妻の物語(高文研) ギャンブル依存症(角川新書)

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