クリスマス礼拝とミサで感じたことです

公開日: 

メリークリスマス!
皆さま、イブの夜をどうお過ごしですか?

私は今日は用事をこなしたあと、夫が付き合ってくれないので、
一人で今年一年の感謝を込めて祈ろうと思い、クリスマス礼拝に出かけたんですね。
この私、最近は忙しすぎて全く教会に行けておりませんが、
一応プロテスタントで洗礼も受けています。

そして今年は、バチカンに呼んで頂き、ローマ法王にもお目にかからせて頂いたことから、
カトリックの教会にも行ってみよう!と思い、
礼拝の後、かの有名な四谷のイグナチオ教会の御ミサにも行って参りました。

日本にはクリスチャンが1%もいないので、プロテスタントとカトリックの違いが、
お分かりにならない方が殆どだと思うので、ここでちょっとミニ知識です。

カトリックとプロテスタントというのは、同じクリスチャンですけど、
お祈りの仕方などが全然違うので、私がカトリックのミサに出させて頂くと、
ものすごく戸惑い、何をどうしたらいいのか?殆ど全く分かりません。
「主の祈り」も讃美歌(カトリックは聖歌)も翻訳が全く違います。

で、ノンクリスチャンの日本人が「キリスト教」と言われて思い浮かべるイメージは、
それは殆どカトリックを指していると思います。
もしクリスマスやイースターなどにミサや礼拝に参加される機会があって、
「この教会はカトリックとプロテスタントどっちかな?」と思ったらまず十字架を見て下さい。
十字架にイエス様がかけられていたらカトリック、十字架だけならプロテスタントです。

また教会の装飾がゴージャスならカトリック、シンプルならプロテスタントです。
マリア様の像などが置いてあったらそれはカトリックです。
プロテスタントの教会は、イエス様やマリア様の像が飾られていることはありません。
私の教会などは、礼拝堂に十字架すらありません。

カトリックは神父様とかシスターとお呼びし、プロテスタントは男女どちらも牧師様です。
お祈りの時に十字架を切るのがカトリックで、切らないのがプロテスタント。
洗礼名があるのがカトリックで、プロテスタントは洗礼名をつけません。

・・・とこのように全然違うので、
映画などに出てきたら、ちょっと参考になさって見て下さい。

で、これまでも時々、御ミサには出席させて頂いたことがありますけど、
今日久々にイグナチオに行かせて頂いて、ハッと気がついたことがあったんですね。

それはイグナチオはカトリックなので、入口にイエス様が誕生した時の、
モニュメントがあるんですね。
なんせ入場するのが行列で、凍てつく寒さの中待っていたものですから、
見るとはなしにそのモニュメントを見てたんです。
こういうのってプロテスタントの私には殆ど馴染みがないわけです。

で、それはイエス様誕生のシーンなんですよね。
クリスチャンでない日本人もこの話は誰でも知っているともいますが、
イエス様は、病院でも宿屋でもなく、行きずりの馬小屋でお生まれになる訳ですね。
つまりこんなに世界中から尊敬されている方なのに、すごく粗末なところでお生まれになった訳ですね。

S__47095811

で、ふとおもったんですよね。
私って普段依存症の事やっていると「やってられん!」「辛いなぁ」とほぼ毎日思ってるんですよね。
だって、依存症って自業自得感が強いから、世間からは全く同情もされないじゃないですか。
病気って言ったって「そもそも手を出さなきゃならない」わけですから、
身体的な病気や障害、さらには統合失調症のような精神疾患とも区別されてしまいます。

しかもですよ「否認の病」なので本人のために駆け回っても感謝されるどころか、
殆どの場合うっとうしがられ、恨まれる訳です。
やっと回復したと思っても、すぐ油断する人ばかりで、
あっという間に再発してがっくり・・・なんてことはザラです。

家族も同様で、困っている時はすがりつかれ、夜討ち朝駆けで連絡してきますが、
のど元過ぎたり、上手く行かなければ、その後、協力してくれる人はごくわずかです。
私や当会スタッフは、殆ど無給状態ですが、回復施設はお金がかかるのでそのことで愚痴られ、
回復施設からしてみると、ギリギリで回していると言われるので、しばしば板挟みで胃が痛くなります。

ギャンブル業界団体からは全く協力が得られず、業界を依存症問題から助けまくっているのに、
一部では敵のように扱われ、乞食とまで陰口を言われる始末。
利権を手にしようとする医者のような権威者が現れているにもかかわらず、
その人達よりも、一民間団体はものすごく低く扱われます。
医療や行政のような、安定した収入がない中、
医療行政の取りこぼしで走り回り、せめて助成金を貰おうとしたら、
ものすごく高飛車に断られたり、そっけなく無視されたり、露骨に嫌な声を出されたりします。

無償どころか持ち出しで何かをやれば「裏があるんだろう」と勘繰られ、
発信すれば「頭がお花畑」と揶揄され、見ず知らずの人にボロクソにコメントされ、
時には真夜中にひっきりなしに携帯が鳴ったり、メールがじゃかじゃか入ってきたりします。

こんな状態で「あぁ、もう!やんなるなぁ~」と思わない人っているでしょうか?
私は、めちゃくちゃうんざりしてるんですよね。

でも、今日本当に本当に「あぁ~そういうことか!」と思ったのが、
つまり馬小屋で生まれたのがイエス様ですけど、
「現代の馬小屋」つまり社会の片隅ですよね、
そこにいる最たる人達って、我々依存症者とその家族じゃないかなぁと思ったんですよね。

あまりの苦労の真っ最中にいると、色んなものが見えなくなっちゃうけれども、
でも本当は「貧しきものは幸い」なんだよなぁ~ってことですよね。
何故なら、そこに神が宿るからですよね。
当たり前に与えられてたら分からない、恵みに気がつけるってことなんですよね。

なんとなく、こんな当たり前に言われていることなのに、
改めて気がつくと「はっ!」とするというか、
それってやっぱりクリスマスの奇跡なのかなぁ~と思いました。
皆さまは、どんなクリスマスをお過ごしでしたでしょうか?

私は、どんな時も、どんな状況にあっても、
依存症で困っている仲間たちに心を寄せられる人でいられますように
と願いました。

ブログ是非応援して下さい!クリックでランキングがあがります。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村
依存症 ブログランキングへ

PVアクセスランキング にほんブログ村

現在国内の推定罹患者320万人(2017年厚労省)のギャンブル依存問題。
日本でもギャンブル依存症対策の導入を!

[田中紀子の著書]
三代目ギャン妻の物語(高文研) ギャンブル依存症(角川新書)

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
PAGE TOP ↑