期待を裏切らない父の人生!です

公開日:  最終更新日:2017/04/30

昨日、父が亡くなった際のブログ、一般の方が見たら「なんという娘だ!」と思われるかもしれませんが、
でも、これが正直な気持ちなんですよね~。
どう思われているかは不明ですが、普段の3倍くらい読まれているこのブログ。
まだお読み出ない方是非ご一読下さい。
あるギャンブラーの孤独死です

別にずっと会ってもいない父親が死んだからって、
ムリクリ感動的なお涙頂戴になんてならないし、
むしろ最期まで1ミリも良いとこなしだと、
こっちもホント他人のドラマをみているようで、面白いです。

これが、最後にですよ「娘名義の貯金だけは死守してた」
な~んて感動話が残ってたら、こっちも参っちゃうじゃないですかぁ。
「あ~すれば良かった」「こうしてあげればよかった」って、
罪悪感だらけになっちゃいます。
でもそんなことぜ~んぜんない!ここまで綺麗サッパリなんもないと、
「見事に自分のことだけで精一杯な人だったんだなぁ」と、愛らしくさえ思えますよね~。

さて、今日からは、父の親族を探さなくてはなりません。
結果はどうなるかわかりませんが、とりあえず市の無縁仏の墓地にあずけたお骨。
もし、家族、親族が見つかって、連絡が取れたら、
先祖代々のお墓に入れてくれるかもしれないじゃないですかぁ。

ここまで見捨てられた父のことですから、このまま無縁仏になるかもしれませんが、
まっ乗りかかった船なので、できるところまでやってみようかなと思ってます。

さて本日、葬儀屋さんにお骨を取りに行くと、
火葬の証明書みたいなのをくれて、
なんとそこにあっさり父の本籍が書かれているじゃありませんか!

お~!ラッキー!これを探していたんです。
住所は分かっても本籍が分からないと、戸籍がとれなくて困っていたんです。

昨日、父の遺品を整理していたら、見覚えのある地名の住所が出てきたんですね。
埼玉県の入間市なんですけど、多分ここが我々がホンの一時、
家族として暮らした住所だろうなぁと思ったんですね。

うちの父、ギャンブラーらしくやたらと住所が沢山出てくるんですよ。
多分、夜逃げとかそういうことなんだと思いますが、
入間市とか、埼玉のその辺を転々としていて、
どこを本籍にしてるのかなぁ?と思っていました。

で、生家と本籍が分かったので、その足で今度は入間市に向かい、
いよいよ戸籍を取り寄せることにしたんです。

ところが!なんということでしょう。
折角、入間市役所まではるばるきたのに、まだ死亡が反映されていないとのことで、
現戸籍はとれないとのこと。
OH MY GOD!

仕方がないので、現戸籍は後日郵送して貰うことにして、
今、とれる「改製原戸籍」なるものをとってみました。
これは約10年前までの状況が分かる戸籍です。

そこで、初めてみる、離婚後の父親のその後の人生。
やっぱり再婚し、腹違いの弟が一人いました。
で、ですね、10年前までは離婚してないんですよ。
一体この先、父は離婚したのか?しないのか?
私は、この腹違いの弟に連絡がとれるのか?
この続きは、現戸籍をみるまでのお楽しみです!

さて、戸籍を改めてみてみると、新たな気づきがありました。
これまでずっと、私が2歳か3歳の頃、父が会社のお金を横領し、
母が愛想を尽かして実家に戻り、離婚した・・・
と思っていたのですが、実は少々違っていたことが分かりました。

私は、母からこの話を聞いて、「うちの母は思い切りがよいのぅ~」と、
思っていたのですが、実は、母が離婚したのはそれから3年後の、
私が5歳になる少し手前のことだったのです。

これを見て「あぁ~、やっぱ母も普通のギャン妻だったのね」と、
ちょっと可愛く思いました。

帰ってから確認すると、少々ばつが悪そうに、
「あんたが小さかったし、離婚調停は川越まで行かなきゃならないって言うし、
落ち着いたら離婚しようと思ってたんだけど、そのまま結構時間が過ぎちゃってさ、
幼稚園に入る前に名前変えなきゃってんで、やったんだわ・・・」
と、説明してくれました。

これは、強がりで露悪的な、母の精一杯の見栄だと私は思ってます。
母の本当の心の声は、
「実家に帰っても、父親はギャンブラーだし、折り合いは悪いしさ。
近所の人に憐れみで見られるのも嫌だし、母子家庭になるのも自信ないし、
どっかであの人が変わってくれるんじゃないかって期待もあったのよね。
でも、結局、一度も養育費は送って来ないし、幼稚園に入る時が来たし、
こりゃもうダメだと思って、やっと決意したのよね。」

そうでしょう~お母さん!?
あなたもやっぱり普通のギャン妻、仲間なんだよね!

私たちの仲間の事例をみても、ギャン妻が離婚するまでには大体3年位かかります。
私も一度目の離婚をするのに3年かかりました。
「もうダメだ」と頭でわかっていても「まだ、なんとかなるかも・・・」と、
葛藤し悩むのが普通です。

ウジウジ悩む自分にうんざりしながらも、決断できなくて当たり前、
人はなかなか愛した人を、嫌いになれないし、あきらめられないし、
生活をがらりと変えるのは、恐いものです。

そしてこちらが決意しても、あちらが応じず・・・ということも多々あり、
3年なんて、本当にあっという間に過ぎてしまうものです。
うちの母もまさに平均値を歩いているんですよね。

そしてですね、もう一つ判明した新たな事実。
うちの母が離婚したのが昭和44年の1月。
そして父が再婚したのはなんと同じ年の11月。
わっはっは~、やっぱり父は、どこまでいっても父らしい!

母が、女手一つで、貧乏長屋の雑貨屋で私を育てている間に、
父はちゃっかり新しい女の人とデートしてたんですよね。
そりゃあ、お金なんか入れて来ないわなぁ~。

6年前、ホンの数回父と再会しただけですけど、
最初に会った時に
「一日も忘れたことなかったよ。」
「何もしてあげられなくてごめんね。」
とTVドラマの見過ぎ!と思わず突っ込みたくなるような、
うそくさいセリフを吐いた父でしたが、
いやいや、何をおっしゃる!
速攻で、素敵な女性を射止めたようで、良かったじゃありませんか!

今日は、市役所のそばにある、私たちが家族として暮らした、
生家を見に行きました。
あいにく、区画整理が始まって、そこら一帯はすべて取り壊され、
わずかにかかる小さな橋が、以前の面影を残していました。
15年くらい前に、一度だけ母と見に来たことがあったんですよね。

当たり一面、平地になった、区画をみて、
「私、母が離婚しなかったら、ここに居たんだなぁ~。」
と、ものすごく変な感じがしました。
ずっと都心の駅近、繁華街に住んできた私にとって、
この環境は全然ピンと来ないです。
「やっぱ、全部これでよかったわ!」とつくづく思いました。

あ~ぁ、でも15年前来たときのあの風景、
写真撮っとけばよかったなぁ~とちょっと後悔。
自分が育つのは想像できないけれど、
あの町並みは嫌いじゃなかったな~と思いました。

目の前を川が流れる家。
私、だから川が好きなんだなぁ~と納得したんですよね。

S__31506443

「ちぇ!つまんない街になったなぁ~」と思って、
家に帰って、思いつきグーグルマップを見てみたら、
なんと!2年前、取り壊される直前の画像が!
後ろは平地になってしまっていますが、
ほんの数軒取り残されている中に、生家が映っていました。

わぁ!神様ありがとう!
思わずスクショしました。

さて、父の人生は、このあとどうなっていったのでしょうか?
腹違いの弟君!会うことができるかな?
この冒険、これからが楽しみです。

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