あれから20年です
1/17は阪神淡路大震災から20年ということで、
多くの方々が、震災について語られていました。
1995年。
この年日本を震撼とさせた、もう一つの大事件がありました。
「地下鉄サリン事件」。
前年に起こった、松本サリン事件と合わせて、
オウム真理教という宗教団体が起こしたテロ事件と知った時、
私たちは皆、驚愕したものでした。
実は、私たち夫婦はこの年に付き合い始め、
阪神淡路大震災の日に、ほぼ初デートと言える、
スキー旅行に仲間と出かけたのです。
スキー場で何度もTVに釘付けとなった阪神大震災。
最初は、「神戸で大きい地震があったみたいだね」
といった程度だったものが、
段々、TVをみる人々が無口になり、
その様子が事の深刻さを現わしていました。
そして、地下鉄サリン事件。
これには私たち本当に多くのニアミスがあり、
以後褪せることのない、鮮明な過去となっています。
まず、第一に当時私たち夫婦は、韓国人の友人と4人で、
ルームシェアをしていました。
けれども私たちも友人も、あの頃は気がつかなかったのですが、
皆が皆、相当重症なギャンブル依存症でした。
でも、そのお陰で命拾いしたのです。
その日、本当は友人がビザの関係で、
韓国大使館に行かねばなりませんでした。
そして私たちも付き合う予定でした。
ところが、前日4人で明け方までギャンブルをしていたお陰で、
行かねばならない時間に起きられませんでした。
そう、この寝坊が運命を分けたかもしれないのです。
何故なら、私たちの住まいは日比谷線入谷駅。
韓国大使館がある広尾まで1本で行けたのです。
でも、その途中にサリンで大被害にあった、
小伝馬町駅や八丁堀駅があったのです。
歴史にタラレバはありませんが、
もしあの日私たちが寝坊をしなければもしかしたら・・・
何度もその話をしました。
それとオウムの犯罪が明らかになると、
私は、あまりに身近な犯罪にぞっとしました。
オウムが選挙戦に出ていた頃、私の地元が選挙区でした。
1回目の結婚の際、すぐ近所に
「オウム真理教附属医院」がありました。
当時は、あまり警戒もしていませんでした。
狙撃されたK長官のお嬢さんは、
同じ職場にいらっしゃいましたし、
働いていた大学病院の大学院生の一人が
「オウム真理教出家修行者」として休学していました。
被害に会われた方々は、私でもおかしくなかった。
そんな風に感じた、大事件でした。
生き残った私たちは、生き抜く義務がある。
そんな風に感じています。
あれから20年。
あっという間に過ぎた20年となりました。
でも、あの時のことは決して忘れられないです。
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20年前、大きな出来事が立て続けに起こり、とても恐かったです。
外国でテロが起きることはあってもまさか日本で起こるとは思いませんでしたね。
そして、大きな地震。
体験された方々の心に寄り添うような支援、取り組みが続いて欲しいですね。