腹違いの弟とやっと会えたんです

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さて、昨日腹違いの弟から連絡を貰った話を書きましたが、
腹違いの弟がみつかったんです
いよいよこの弟と会う日がやって参りました。

もうワクワクドキドキといった感じ。
一体、どんな人なんだろう・・・
と思いながら、待ち合わせのランチに向かいました。

奥様と一緒に来ていた初めて会う弟。
第一印象は「父とそっくり!」って思いました。

お互いはじめましての挨拶をして、
「やっぱり父と似てますね~」と言うと、
「そうですね~、最近似てきましたね~」と苦笑い。
奥様は、私と弟も似てる所がある・・・と言ってましたが、
確かに、鼻のあたりが似てるかもと自分でも思いました。
なんだか不思議な感覚ですよね。

私は、はやる気持ちで、父のことを聞きました。
もうですね~、麻雀放浪記を地で行くような人の話しが、
自分の父親だなんて、なんという面白さ!
興味シンシン知りたくてしょうがなかったんです。

弟によると、父は幼い頃は、家におらず、
小学校位になっていきなりふらりと戻ってきたそうなんですね。
そして、自宅でお惣菜やさんみたいな商売を始めた。

夫婦仲は既に悪く、弟が出来ちゃったから仕方なく結婚した・・・
と常々言われて育ったそうなんです。
で、しかもそんな落ち着かない風来坊の父を、祖母は溺愛しており、
「父があんなふうなのは嫁のせい」と言われ続け、
姑と同居していた、後妻さんはかなりいじめられたそうなんです。

そうでしょう!そうでしょう!
「うちの母もクソババァだったって言ってました。」
と、チクッてやると、弟のお嫁さんが
「お義母さん、いつも大変だったって、今でもその話になると怒ってますよ。」
と言っていたので、分かりますとも!と、
あぁ、この後妻さんと、うちの母を是非とも会わせてやりたい!
ってな、妙な気持ちになっちゃいました。

実は、母によると、養育費が全く入って来なかったので、
父に電話をしたことがあるそうなんです。
当時は携帯なんかありませんから、もちろん家電。
そしてその時に後妻さんが、電話に出られたとかで、
母は父が再婚したことを知るのです。

その時、後妻さんに
「そんなお金なんかありゃしませんよ。私だって出ていきたいくらいなんですから。」
と逆に愚痴られ、母は「あなたも頑張って下さい」と最期は慰めて電話を切ったとのことで、
それっきり、養育費のことはあきらめたそうなんです。
なんか同志みたいですよね。

で、うちの父、やっぱり良くいるギャンブラーで、
仕事はとにかくマメにやるし、しかもできる人だったらしいんです。
はい!それ母も言ってました。
三越ガールだった母と、取引先の問屋の営業だった父。
とにかく体一つ壊したことなく、頼んだことは何でもやる、
良く働く人だった!(← だから騙された!)
と、常に言っております。

そんな父なので、商売を始めたら、どんどん大きくなって、
地元だけでなく、県内に4,5店舗持つようになって、
手広くやるようになったそうなんです。

OH!そうでしたか。
父が私に「良い車乗って、彼女侍らせて・・・」
なんて自慢してたのもまんざら嘘じゃなかった。

「良い車乗ってました?車が好きだと言ってましたが・・・」
「そうですね~、セルシオとか乗ってましたね。」
あっ・・・そっち系の趣味ね・・・気が合わないわぁ、
と心の中で思いましたが、
弟も「20歳そこそこで僕も車買って貰いました。」とのこと。
でもそれが最期のあだ花だったようです。

父は、その少し前から、韓国人の愛人ができ、
家を出ていったそうなんですね。
そして、地元は後妻さん、他店舗は父がみるような形になったんだそうですけど、
運転資金を皆、愛人に貢ぎあげてしまい、一気に資金繰りが悪化。

実家には、経営悪化に気がついた取引先が詰めかけるようになり、
弟の車をかわきりに、金目のものはどんどん売られていったそうです。
そして弟はそのトラウマで、家電の呼び出し音が今でも怖いそうで、
電話には絶対に出ないのだそうです。
なんかわかる・・・ギャン妻にも良くある話ですもん!
えぇえぇ、わかりますとも!

「一体これから自分たちはどうなるのだろう・・・」
と弟や後妻さん、そして巻き込まれた、父の姉一家も居たそうなんですが、
皆が戦々恐々とした思いで、暮らしていた頃、
父がふらりと戻ってきた。
その時、父に「いい加減にしろ!」と弟が怒鳴りつけたそうで、
実は、その日以来、弟は二度と父に会っていないのだそうです。

やがて住んでいた家も売れ(結構大きな家だったそうですが)
弟と後妻さんは、ほぼ夜逃げ状態でアパートに引っ越し、
巻き込まれた父の姉一家とも絶縁となったそうで、
私から見ると、叔母一家になる訳ですが、
彼女たちも一緒に商売をしていたので、
借金で大迷惑をかけたそうです。
そして金の切れ目が縁の切れ目と、
父は愛人にも捨てられたらしい・・・とのことでした。

そこからおよそ四半世紀に渡って、弟は真面目に働き、
5年前に奥様と職場結婚をして、
今は夫婦二人で幸せに暮らしているのだそうです。

ちなみに弟は、私とは大違いで、父を反面教師とし、
一切ギャンブルはやらないとのことでした。

「あの、お母様に、父が亡くなったことお伝えになりました?」と聞くと、
「えぇ、伝えました。」とのことで、
「最初は泣いていたけれど、そのうち手紙を書いたんですよ。」
と言うので「えっ?誰に」と聞くと「お父さんに」とお嫁さんが言うんですね。

その手紙には、父に対する恨みつらみが書かれていて、
「勝手に一人で行ってくれ!」といった内容だったとのことで、
思わず爆笑してしまいました。
後妻さん「絶対同じ墓には入りたくない!」と言っているそうです。
私も、市の無縁仏が父にとっても一番ふさわしい選択だなと、
これで納得!もうなにも思い残すことはない!と思いました。

弟のお嫁さんと言うのが、人懐っこくて、かわいらしい人で、
なんだかとっても仲良しで、幸せそうなご夫婦でした。

全く気がきかない私とは違って、手土産まで用意してくれていて、
家に帰ってみたら、封筒に3万円も入っていて恐縮しちゃいました。
きっと葬儀を負担した私への心遣いだったのでしょう。
思ってもみなかったので、びっくり仰天しました。

およそ2時間、様々に語り尽くし、
この不思議な対面は終わりました。

父が死んで、私は「いつか会いたい」と、
弟の存在を知った高校生の頃から思っていた念願を叶えることができました。

父と私にもちょっぴり似た弟。
傷つきいまだに電話が嫌いな弟。
お互い、父に1ミリも良い想い出がなく、
「このまま無縁仏にしましょう・・・」と、
さばさばと意気投合した弟。
でも、今は人懐っこい奥様と結婚して幸せそうな弟。

最期にお別れする時に、お嫁さんにちょっぴり冗談っぽく
「うちの弟を宜しくお願いしますね!」と言うと、
「はい、こちらこそ!」と笑顔で握手してくれました。

駅に向かう二人の後ろ姿を見送りながら、
何故か私は、初めて涙がこぼれました。

どうしてかはわかりません。
でも多分、会えて嬉しかったんだと思います。

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