思えば「らも」さんより生きたなぁ・・・です
今年の年度末は、行政の企画を請け負わせて貰ったことと、
公益法人になったことが重なり、今とんでもなく忙しい羽目になっている上に、
体調を崩すという痛恨のミス。
そのうえ来週から子供たちと旅行に行くという気まぐれを起こし、
1週間休みをとるつもりでいるので、時間が益々ないんですよ。
さらに4月にはまたしてもイベントもぶっこんでいるためその準備と、
研究に着手するという案件があり、
「やばい・・・やばい・・・やばすぎる~」と、
考えるとやばすぎるので、考えずに現実逃避をしている状況です。
あのですね、こういう時の私はどうなるかというと、
普段ならどんどんテンパっていって、
寝ないでいると変なハイテンションモードに入ってしまい、
3日ぐらいあんま寝ないで突っ走れてしまう・・・という状況になるんですけど、
体調悪いんでねぇ・・・そうはいかない感じですわ。
その上今、ものすごく厄介な2つの案件抱えていて、
とても憂鬱なんですよね。
毎日毎日この件でサポートもしていて、
おちおち寝てもいられない状態だったんですよね。
昔なら、こういう時自己憐憫になるか周囲への恨みでいっぱいになっていました。
ただでさえ毎日「早く死にたい」と思って生きていましたし。
で、今日ふと、「でもしぶとく生きてるよなぁ、私」と思って、
「そういえば中島らもさんが亡くなったのは52歳。らもさんより生きたなぁ・・・」
って思ったんですよね。
依存症に関わる人なら、皆、らもさんのことは好きだと思いますが、
私は、好き以上のシンパシーを感じている上に、憧れてもいるし、尊敬もしています。
お芝居が好きなこともあって、
昭和の天才は寺山修治、平成の天才は中島らもと思っています。
奇しくも寺山さんはギャンブラー、らもさんはアルコールと薬物の依存症者でしたが、
熱中していた頃は、もちろん自分が依存症者だとは1ミリも思っていませんでした。
高校時代「書を捨てよ、町に出よう」や「田園に死す」を片手に、
しょっちゅう学校をさぼって名画座巡りなどをして、死にたい現実から生き伸びていました。
今でも忘れられないのは、私がポーカーゲーム喫茶のチンピラと4畳半神田川恋愛でくすぶっていた頃、
たまたま電車の中で前に座ったおっさんが広げたスポーツ新聞に「寺山修治急死」と
でかでかと見出しが出ていて、思わず「えぇ~!」っと声をあげてしまい、
そのまま涙がボトボトと落ち、ものすごく悲しい上に恥ずかしい思いをしました。
そして47歳という若さで急逝した天才にある種羨ましさを感じたものでした。
らもさんにハマっていたのは、まさにギャンブルにハマっていた頃~妊娠期。
あの破滅的な生きざまは、まさに自分と重なり、シンパシーを感じる一方で、
天才中島らもに、ものすごい憧れを抱いていました。
数ある名作を残され、なんと言ってもアルコール依存症で入院した時の様子を描き、
吉川英治文学新人賞を受賞された「今夜すべてのバーで」は、
多くの仲間達が好きな作品だと思いますが、
私はなんといっても「アマニタ・パンセリナ」というエッセイが大好きです。
これはおおげさじゃなく何十回読み返したか分からない、
ボロボロになっても手元に置いておる1冊です。
この本で、どれだけ救われたことか・・・今も時々読み返しています。
らもさんは、
「咳止めシロップがやめられないと世をはかなんで死ぬくらいなら、止めなければよい。」
と、見事に正論を吐いておられます。
依存症真っただ中の時、この一文が死ぬほど好きでした。
ご自身も咳止めシロップの依存症であったらもさんは、
咳止めシロップがやめられないことを悲観して自殺した高校生に向けて、
たかが咳止めシロップごときを断ち切れない自分の弱さというものに
愛想をつかしたのだろう。しかし自分に愛想をつかせても人間は生きていける。
やつがれなんぞは、この四月で四十にあるが、今までに八十七回、自分に愛想を尽かした。
と書かれています。
他にも
「止まらないから止めて~」
という松田聖子ちゃんのブロンのコマーシャルを、
ブロン中毒者と「言い得て妙」とゲラゲラ笑いながらみた話とか、
「飲むとスタミナがつく気がする」と言う人がいるが、
スタミナがつくのではなく、禁断症状のだるさが普通に戻るだけの話しだ!など、
この「アマニタ・パンセリナ」は、今読むと、
まさに依存症のメカニックが実によく分かる描写のオンパレードなのです。
あの頃、依存症のことなど全く知らない依存症者であった私は、
何故あんなにもこの一冊にひかれ繰り返し読んだのか?
おそらく自分の弱さを受け入れてくれる、許してくれる気がして、
私にとって安心できる一冊であったに違いありません。
こんなにも依存症者の心理を見事に描写してくれたらもさん。
私が、生き恥をさらす自分を、かろうじて許せたのは、
らもさんという先人がいたからではないかと思うのです。
らもさんは、私が自助グループに出会った2004年、
ご自身で予言していた通り、52歳で飲んだ帰りに転んで頭をかち割って亡くなりました。
その予言もこの「アマニタ・パンセリナ」には書かれています。
あの時は「らもさんらしい死に方」と、
そして自分も長くはないだろう・・・と思って受け止めた、らもさんの死。
でも気づけば、私はらもさんより生きながらえることができました。
こんなにも元気で、そして健康で。
願わくば、らもさんには12ステップで回復して頂き、
そして天才 中島らもに12ステップの素晴らしさを書き遺して欲しかったと思います。
そうすれば日本の自助グループと12ステップの仲間はもっともっと増えたのでは?と、
ふがいなく後塵を歩く身としては思います。
今になって、らもさんを失ってしまったこと、残念でなりません。
らもさんは「咳止めシロップ」の章の最後にこんなことを書いています。
付記・現に依存症に取りつかれている青少年には、自殺よりもまず専門病院の入院をすすめる。
退院後の再発防止のためにはNA(ナルコティクスアノニマス)なる元中毒患者による団体が存在し、常時集会を持っている。
らもさん、誰よりもあなたに参加して欲しかったです。
らもさん、私は自助グループにつながり今日も生きてます。
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