子供の貧困家庭でした
10月5日にこんなイベントをやるんですけど、
http://media.wix.com/ugd/e13b49_ff054aa8c6eb4db9a4dc585e29a857b1.pdf
これってもともとは、仲間が「面会交流権」っていう制度を利用したことから、
私も、こんな制度があるんだって知ったんですね。
残念ながら、仲間のご主人は、共依存が激しく発症し、
自分の苦しさや、淋しさといった感情は、全部奥様のせいだ!!!
となってしまい、ギャンブルは止まったんですが、結局関係は修復できなかったんです。
最後の方は「お前が、あ~だからだ、こうだからだ」と、責める、責める、責める一方。
何を言っても無駄、話が全く通じなくなってしまいました。
いくら夫婦とはいえ、相手の望み通りに行動なんかできない訳だし、
そもそも望み通りに行動してあげたつもりでも、怒りだしたりして訳が分からない。
こうなっちゃうともうお別れするよりないじゃないですか。
だから、私も離婚に賛成しました。
でも、別れるにしろ、発病してる夫は、攻撃的で恐くてしょうがない訳です。
そこでこの安全に子供が離婚したご主人に会えるよう、
奥様とお子さんと夫の間に入ってくれる、このシステムを利用した訳です。
聞いた時「へぇ!今ってそんな便利な仕組みができたんだぁ」と、
そりゃあびっくりしました。
で、そのうちその仲間が、「自分が利用した面会交流権の支援団体の
代表 古市理奈さんとRicoさんを是非引き合わせたいの~!」
と言うので、そりゃあもちろん是非って思ってお願いしたんです。
その仲間がこの制度を使って、上手に離婚し、
その後、お子さんとお父さんの関係も良好なのをみて、
同じような仲間がいたら是非紹介しよう!と思っていた矢先でしたので。
で、ご紹介されたらすっかり意気投合してしまい、Rina&Ricoコンビが生まれたんです。
理奈さんは、尼さんというご職業の傍ら、この支援をなさっているんです。
今は、理奈さんと「子供の貧困問題」「不明児童問題」に取り組もうとはりきっています。
この問題、私にとってものすごく身近です。
母は、離婚した時に、調停員さんが「お子さんを定期的にお父さんにあわせるように」と、
勧めて下さったのですが、きっぱりと「会わせません」と断言し、
そしてそれを貫きました。
その後の、父の様子を、なんと40年後に知ることとなりましたが、
生活保護を受け、40数年ぶりに巡り合った私に平気で「5,000円貸して」という父親をみて、
「あぁ、あの時の母の決断は、致し方なかった」と理解できました。
でも、その結果私の暮らしは、一気に極貧生活になったのです。
母の実家は、ギャンブラーの祖父がいて、もちろんお金なんて全くありませんでした。
内風呂もありませんでしたし、プライバシーなんて全く確保できません。
自分の独立した部屋など、望むべくもありませんでした。
一人娘なのに、何もかもが貰いものでした。
ランドセルも、中学の学生鞄も、制服も、机もラジカセも、
全部どっかの誰かの貰いものです。
家は、ボロボロで、今にも崩れそうで、しかも借家でした。
隣は、飲み屋さんで、夜8時ごろから、明け方までカラオケの声が、
まるで耳元で歌われているようにがなりたてられ、
反対側のラーメン屋さんからの、匂いがもろに吹き込むような家でした。
親たちはいつもお金の心配と、立退きの心配をしていて、
けんかが絶えなく、私はお金と家のことで、常にハラハラしていました。
夜、大人たちが話しているのを、何度こっそり階段で聞いていたか分かりません。
「住む所がなくなるかも」といつも心配でたまりませんでした。
中学時代は、貧乏で本当に惨めでした。
余りにもダサく、みすぼらしく、しょっちゅう無視されたりしていました。
高校に入って、バイトができるようになると、
学校なんてそっちのけで、バイトばかりしていました。
私の場合は、たまたま大都会に生まれ育ち、働く場所がいくらでもあり、
持って生まれた資質が、めちゃくちゃ明るく、社交的な性格だったので、
高校で持ち直すことができました。
でも、貧困家庭の辛さ、みじめさは身にしみて分かっています。
あの頃、面会交流権や依存症教育があったらなぁと思います。
過去を全て受け入れていますが、
やはり私のような環境が良いとは思いません。
私のような家の人が相談に来たら、依存症について介入してくれたり、
定期的に父親と会う代わりに、きちんと養育費を払う取り決めをしてくれて、
少しでも、母親の経済的負担を軽減できるように導いてくれたり、
そんな風にして貰えたら、どんなにか良いでしょう。
でも本来は、それが未来を担う子供たちにしてあげられる、
社会の大人の責任じゃないでしょうか?
子供は、家族だけで育てるものじゃないし、
母子家庭のお母さんを助けるシステムは、圧倒的に不足しています。
そして不明児童問題。
弁護士事務所にいたときに、7人の子供を学校に通わせず、
コンテナで暮らしていた、買い物依存症のご家族の借金整理をしたことがあります。
食事は、毎日菓子パンを食べていたというのです。
当時、ものすごくびっくりしましたが、
けれども、実はこういう境遇にあるご家族は日本に沢山いるのです。
親が借金取りから逃げ回っていたため、
学校に通えず、偽名を使い、一度も正社員になれないという、
女性と出会ったこともあります。
時効制度をご存じなく、ただただ一家全員で怯えて暮らしているのです。
そしてこれらの現実は、全て平成時代の日本の中で起きているのです。
戦時中の話でも、明治、大正時代の話でもありません。
たった今も起きているのです。
借金取りにおびえ、DV夫におびえ、
決して本名を名乗らず、公園で水を汲み、コンテナで暮らし、
菓子パンを食べながら、学校に行けない子供が、
日本の中にいるのです。
貧しいアフリカやアジアの国、難民キャンプの話ではなく、
たった今、日本で起きていることなのです。
何故、そんなことになるのか?
それだけ相談窓口というのは、ある種の人には敷居が高いのです。
そして「今すぐなんとかする」という、スピード感もないのです。
そこまで追い詰められなくても、どうにでもなるじゃない?
と思うのは大間違いで、「どうにもならない」「逃げるしかない」と、
思いこんでしまう人は沢山いるのです。
そして実際、適切な助けの手を差し伸べられる、
マンパワーも圧倒的に少ないのです。
たった今、子供たちに出来ることってなんでしょう?
私たちの役割ってなんでしょう?
怯えている子どもたちを、助け出すためにはどうしたら良いのでしょう?
是非、ご一緒に考えて下さいませんか?
私、貧困家庭の子供だったんです。
だから、貧困家庭の子供を救いたいんです。
今、その子たちが、どんな気持ちでいるか、良く分かるからです。
ご協力宜しくお願い致します。
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りこさんの経験と仲間の経験を生かして、この度も仲間を助けたとの思いの一つの形が、コラボセミナーですね。知ることから始まりますね。そしてどんどん行動に変えて行きたいです。