訃報!菅原文太さんです
今日は、大好きだった菅原文太さんが亡くなったと聞き、
大ショックを受けています。
先日の高倉健さんの訃報と合わせ、
日本の映画界も淋しくなりますね。
私、高校時代、菅原文太さんの大大大ファンで、追っかけやっていました。
いくら昭和の時代とはいえ、文太ファンの女子高生というのは、
もちろんそう多くはなく、いえ殆どおらず、
私と親友の二人だけで夢中になっていました。
何故、そんなにも好きだったか?
そりゃあ、かっこ良かったんですよ、映画「青春の門」。
五木寛之さんのこの名作は何度か映画化されていますが、
私は、伊吹重蔵を文太さんが、伊吹信介を佐藤浩市さんがなさった、
1981年公開の「青春の門」にどはまりしてしまうのです。
文太さんと言えば、「仁義なき戦い」や「トラック野郎」が有名ですが、
私は「青春の門」の文太さんがイチオシです。
もともと文学少女だった私は、この名作を文庫で読破していて、
映画化された時に「絶対観たい!」と思っていました。
運よく親友も観たいとのことで、一緒に行くことになりました。
文太さんは、早々に死んでしまう役なので、
出番は多くはないのですが、その死に向かう際のシーンに、
もうしびれてしまいました。
あの時のセリフを今でも空で言えます。
「バカも利口も命は一つたい。炭掘る人間に理屈はなか。」
筑豊弁でこう言って、文太さんは自らの命と引き換えに、
仲間を助けるために、炭鉱へと向かうのです。
もうこのシーンを友人とどれだけ、モノマネしたでしょうか?
その後、夢中になった私達は、ご自宅を見に行ったり、
なんと奥様が経営されている、おもちゃ屋さんに図々しく出かけていき、
文太さんとの出会いをインタビューしたりして帰ってくるのです。
奥様、お優しくて、お綺麗でとっても良い方でした。
当時、ネットなどなかった時代に、何故自宅や奥様のお店がわかったのか?
今となってはものすごく不思議ですが、
確か、プライベートについて書かれた雑誌記事を丹念に読み、
推測から探し当てたような気がします。
一度、文太さんが、選挙の応援演説で、
選挙カーに乗ってらしたことがありました。
親友が自転車で飛び込んできて
「大変!文太が選挙カーに乗ってるよ!」と言うので、
私も慌てて飛び出していき、二人で絶叫しながら、
「文太~!文太~!」と、叫びながら、
追っかけていったことがあります。
あまりのしつこさにあきれ果てたのか分かりませんが、
一度信号待ちで、文太さんが握手して下さり
「何歳だい?」と聞くので、「16歳です」と答えると、
「じゃあ、選挙権ないじゃないか~。お父さんお母さんに宜しく頼むよ~」
と笑いながらおっしゃったので、私たち大感激で「はい~!!!」と答えました。
「青春の門、観たんです!大ファンなんです!!!」と言うと、
「そうか~、ありがとう。でも、危ないからもう帰りなさい。」
と言われたので、本当はもっとずっと追っかけていたかったのですが、
嫌われたくもなかったので、そこで名残を惜しみながらお別れしました。
その後、書道の授業で、表札を書く機会がありました。
皆、想い思いの表札を作ったのですが、
私だけ「菅原文太・紀子」と、
自分の願望を表札にした上に、
裏面に「文太命」と彫って提出したら、
書道の先生にこっぴどく怒られ、
留年しそうな騒ぎになってしまいました。
更に、私たちが3年生になった時に、1年生に1学期だけですが、
文太さんのお嬢さんが入学してこられて、
これまた驚いたことがあります。
「体育祭に、文太が来るかも!」と期待しましたが、
早々に転校されたので、
ついに文太さんと学校でお会いすることは叶いませんでした。
健さんもそうですが、文太さんのような、
骨太で、男らしい男を演じる名優に、
近頃とんと出会えなくなった気がします。
昭和は、遠くになりにけりという気持ちになります。
文太さんは、まちがいなく、
私の高校時代の1ページを、彩ってくれた方です。
今でも、夢中になっていた時の気持ちを思いだします。
本当に楽しく、熱に浮かされたような日々でした。
大好きでした。
本当にありがとうございます。
文太さん、超超超かっこよかったです。
安らかにお眠りください。
合掌
お亡くなりになったのに、不謹慎にも大笑いしてしまいました。
りこさんの青春時代の思い出話は本当におもしろい。
時々、「どっこ、どこへいった」も思い出し笑いしてます。