二代目ギャン妻の物語です
母は、まだ知りませんが、私は数年前に2歳の頃に生き別れた、
ギャンブラーの父と再会を果たしています。
何故なら、その頃の父は、年金担保でお金を借り、
生活が立ち行かなくなり、生活保護を申請したのです。
申請の際に、別れても親子の縁は切れない私の所に照会が来て、
私は実に40数年ぶりに父の存在を知り、再会を果たしたのです。
その時は、年金担保の借金が終わるまでということで、
確か、1年くらいの期間保護して貰ったと思います。
今年7月、新幹線で焼身自殺を図った男性がいましたが、
報道によるとこの男性も、ギャンブルで借金があり、
生活が立ちいかなくなっていたとか・・・
まさにうちの父と同じ状況だ!とショックを受けました。
あの事件は、うちの父が起こしていてもおかしくなかった。
父は、たまたま相談に行った市役所内で倒れてしまい、
救急搬送され、あれよあれよという間に、
行政と周囲の方のご厚意で、生活保護の申請に至ったとのことでした。
ギャンブルと生活保護。
この問題には様々なご意見があるかと思いますが、
私自身は、こう言った高齢で社会のセイフティネットからもれている、
ギャンブル依存症者に対しては、緊急措置のような金銭的支援と、
それに伴う介入から回復への道筋が必要だと思っています。
そしてそういった金銭的支援は、生活保護などの税金で賄われるべきではなく、
やはりギャンブル運営側から拠出されることが、
社会全体のためになると思っています。
このように、我が家の父はいまだに回復のレールに乗れず、
80歳を過ぎた今となっては、おそらくこのまま、
ギャンブラーとしての一生を終ることでしょう。
私は、父と数回会いましたが、現在では付き合いを絶っています。
何故なら父は、40数年ぶりにあった娘に対しても、
すぐにお金をせびりだしたからです。
母は、会社の金を横領しクビになった父に、
さっさと見切りをつけ、離婚し実家に戻って参りました。
そして実家にはギャンブラーの父、つまり私の祖父がおりました。
この辺の経緯については拙本「三代目ギャン妻の物語」に詳しく書きましたが、
現在の父を見ていると、当時の母の決断は正しかった!
と感謝しかありません。
貧乏で嫌な思い出しかなかった子供時代や、母への恨みが
見事に雲散霧消したのも、この父との再会があったことも否めません。
「あぁ、あの時、母が思いきって離婚してくれなかったら、
私はいまだに父に振り回されていたかもしれない。」
「なんで母子家庭なんだ!と恨んでいたけれど、
母は私を守ってくれたんだ!」と、
母の勇気に感謝の念が湧いたのも、父との再会があったからでした。
父は、私との再会後すぐに電話をかけてきました。
「のりちゃん、悪いけど5000円貸してくれ。」
ものすごいショックと、あぁやっぱり・・・という想いが同居し、
「なんでそんなお金私が貸さなきゃならないの?イヤ!」
ときっぱり断りました。
すると父は「じゃぁ、4500円でいいよ。」と値切ってきたのです。
40数年ぶりに再会を果たした娘に、小銭をたかる父。
この時、父へのロマンティックな再会の幻想は全て破り捨てられ、
不思議なことに母への感謝の気持ちで満たされたのです。
昭和40年代の初め、一人娘を連れ出戻った母は、
なんと強い女性だったのか!
子供のためにと、離婚を躊躇されていたなら、
私は一生、自分の誕生を責め続けねばならなかったことでしょう。
あの時代に、母子家庭の選択をすることは、
今より数十倍の困難があったはずです。
父の電話を切った後、一人感謝の暖かい涙がとめどなく流れ、
それほどまでに自分の誕生を喜んでくれた母の愛を、
初めて感じることができたのです。
「望まれて、生まれてきたんだ。」
私の中に自分の存在への自信が生まれた第一歩でした。
今でも、父から時折着信がありますが、
私は全て無視しています。
行政には「もし父が亡くなったら、御迷惑でしょうから、
その時は私がなんとか致します。
でもそれ以外は何もできることはありません。」
とお伝えしてあります。
一般の方からみたら、「何と冷たい娘」と言われるでしょう。
けれどもこれが依存症者の過酷な現実なのです。
もちろん父の老後を、穏やかに寄り添う娘でいられたなら、
それはどれほど幸せなことでしょう。
でも私はその幻想や、持つ必要のない罪悪感と闘い、
依存症者の家族として取るべき王道を歩きます。
世間がなんと言おうと、分かってくれる仲間がいる。
仲間の力で、タフラブを貫く自信があります。
アルコール依存症で、病気を否認したままホームレスとなっている、
兄の支援を拒否するマドンナの気持ちと全く同じです。
私はその分、母とこれまで通り、
家族として愛し、支え合って生きていきたいと思っています。
私は、母に父との再会を生涯伝えることはないでしょう。
余計な心配も、余計な憎しみも、余計な恨みも、
もう母には不必要だと思っています。
少しでも多く、一つでも沢山、
良い思い出、楽しい時間を、
母には過ごして貰いたいと願っています。
父は悪人ではなく病人です。
けれども母にはその違いは理解できないでしょう。
私も母に、今更理解しろ!という思いもありません。
ただただ、勇気を持って、母子家庭となり、
貧乏のどん底で苦労しながら、
まがりなりにも私をいっちょまえにしてくれた母を、
心から尊敬し、大事にしてあげたいと思っています。
本日9/13は母の82回目の誕生日でした。
最愛の孫たちに囲まれ、ケーキをほうばる母は、
自分が描いた理想の老後を過ごしているに違いありません。
そこには私も自信があります。
勉強には口うるさいばかりで、学歴偏重主義の母の教えで、
役に立っているものなど殆どありませんが、
たった一つ母が口を酸っぱくしていっていた言葉
「あんたは絶対に仕事をし続けなさい。
子供は、ママが見てあげる。女は仕事を捨てちゃダメ。
家庭の中に、収入の道は何本あったって良いんだから。」
この言葉だけは、私を生涯支えてくれる宝となりました。
バブルの絶頂に青春を過ごし、
「専業主婦こそ女の道」と言われた時代に、
結婚適齢期を迎えた私が、
これほどまで働き者でいられたのは、
この繰り返し語られる母の言葉のサブリミナル効果と、
遺伝子だと思っています。
そしてこれこそが私の最大の強みであり、
自分の一番好きなところです。
どんな時も愚痴を言わず、
強すぎる母に、負けっぱなしの私でしたが、
今では堂々とそんな母を丸ごと受け入れ、
全てを愛することができています。
だから今では心から言えます。
Happy Birthday Mom!
長生きしてね。
若かりし頃の父と母
この世に生まれたばかりの私と、最初の家族写真
父が横領事件を起こす前、離婚直前の写真
我が家には、親子3人で写った写真は、この2枚しかありません。
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素敵。軽々しくないから尚、素敵。お母様どうぞ長生きして下さい。お誕生日おめでとうございます。