病院職員に違和感 母への言葉使い 高齢者の尊厳です

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85歳になる母が先日緊急入院をし、その後、食道と胃にがんがあることがわかったのですが、
他に大腸にも転移していないかを検査するために、再び検査入院することとなったんですね。

我が家がある新宿区は、救急病院や大学病院が近所に沢山あるんので、
本当に恵まれた環境だと思うし、有難く思っています。
病院はホテル並みに綺麗だし、医師も看護師さんもコメディカルも親切です。

ただ本当に一つめちゃくちゃ気になるのは、
「なんでこの人達は、高齢者の母に対して私と同じように接しないのだろう?」
ということです。

例えば、私に対しては「次回、大腸の方も検査して、もしガンがあったら一緒に手術することにしましょう。」
と、淡々と説明するのに、母に対しては声がワントーンでかくなり、ゆっくりとしゃべりながら
「次また来て貰って、腸の方もみてみましょ~ね。もし腸にも悪いところがあったら~、一緒にとっちゃいましょ~ね。」
みたいな説明の仕方をするんですね。

いやいやうちの母は、耳も遠くないし、頭は1ミリもボケておらず、準備も完璧に怠らない人です。
私が、その場になっていつも慌てて用意したり、言われたものを全て忘れたり、速攻紛失するのとは全く逆で、
入院の必要書類は全て自分で用意し、私のサインが必要な部分も捺印まで済ませ、あとは私が名前を書くだけ、
という状態にきっちり揃えてあるのには、今日も舌を巻きました。

準備万端整え、恥をかかぬようにと心がけるしっかりものの母と、
自由奔放その場の瞬発力と度胸を頼りに生きてきた私、
この水と油の親子の葛藤は、分かる人には分かって頂けると思いますが、
価値観が全くあわないがために、長い間、愛憎うごめくアンビバレンツな気持ちに引き裂かれてきました。
母といると私は自分のことを「ダメ人間」としか思えなくなるのです。

そのため私は中学時代から極力家におらず、ずっと反抗期のような状態で、
決して仲の良い親子ではありませんでした。
依存症のプログラムのお陰なんです、母を愛し許せるようになったのは。

ですから、母のことは今でも尊敬している部分もあるし、恐れている部分もあります。
もちろん今では愛も感謝も生まれ大切な存在ではありますが、
嫌いな部分もあり、うっとうしくもあり、
見下している部分もありながら、一生この人には敵わないと思う気持ちもあります。

そんな私の中で、生涯にわたる葛藤を抱える大きな存在である母が、
どっかの赤の他人に、子供の様に扱われると、こっちまでバカにされているような、
この人のために私は心の闘いを続けてきたんだよ!という人生の苦悩までもバカにされたような、
そんな複雑な心境になります。

なので、今日ははっきりと入院受付の女性が(この人も充分高齢者の域なのに!)、
私には敬語、母にはトロトロとタメ口まじりで話すので、
「なんで高齢者をバカにするような話し方するの?」
とこっちもタメ口で聞いてみました。
「あと、母は耳も遠くないから、たらたらしゃべられると私がイライラするんで、普通に話してくれない?」
と言ったら、あわてて「あっ!すみません」とあせってましたけど、
こういうのって、どういう心境なんでしょうね?

例え、認知症だったとしても、普通の大人として接するべきじゃありません?
しかも私と母が普通に会話しているんですから、
「あっ、この人は耳も遠くないし、認知症もないな。」と一目瞭然じゃないですか。
それをこの職員だけ、母にトロトロとバカでかい声で、タメ口交じりで話しかける・・・ギャグです。

確かに、母は見かけはめっちゃ老人です。
腰も曲がっているし、足も弱く杖をつき、髪は真っ白です。
でも、毎日私たち家族全般の生活を切り盛りし、子供達のスケジュールを完璧に把握し、
自分のことはなんでも自分でやる人なんですよね。
この私ですら「参っちゃうよなぁ・・・うちの母には。」と思うんですから。

医療者に優しさや配慮は必要だと思いますが、
見かけだけで判断せず、過剰対応は当事者と家族の尊厳を奪うので、
是非とも止めて頂きたいなと思います。

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