母に言えなかったこと・・・です
昨日、子供にカミングアウトしたことをブログに書きましたが、
この件で益々「子供は親に気を使って生きている」と実感しました。
もちろん私もそうでした。
特に子供の頃は、ものすごく母のことが大好きだったので、
母に気を使って生きてきましたよね。
中学生になって、反抗しながらもやっぱり気づかっていました。
当時の忘れられない想い出があります。
実は、我が家は父親がギャンブル依存症で会社のお金を横領して懲戒解雇になり、
それを契機に母が離婚して実家に出戻ってきたんですね。
でも、私は長い間「父は死んだ」と聞かされていて、
離婚したことを知りませんでした。
ところが中学3年生の時、当時受験に必要だった住民票を、
私だけ配られなかったので「変だなぁ~?」と思い、
それがきっかけで、「もしかして父は生きてるのかも」と思うようになりました。
そして高校に入学後すぐに自分で戸籍を取りに行き、
離婚の事実を知りました。
「やっぱりなぁ~」と思ったんですが、
もともと見たことない父親なので、居ないのが当たり前になっていて、
その時は、会いたいとかそういう気持ちはありませんでした。
特に、ショックも受けませんでしたね。
でも、その時すごく「困ったなぁ~」と思ったんです。
何故かと言うと「母の気持ちを楽にさせてあげたい」
「母に、私は知っちゃったけど大丈夫だよ」と伝えたいと思ったんですが、
私が戸籍を取ったなんて知ったら、
母はショックを受けるんじゃないか?と、それが心配になるんですね。
「父親がいないことを淋しいと思っているんじゃないか」とか、
そういうあらぬ勘ぐりをするんじゃないか?と思ったんです。
子供って、親を傷つけるまいという本能があるんだと思うんです。
それで、私はものすごくへんてこりんな名案が浮かんで、
そのことを日記に書いて、
「戸籍見ちゃったけど、案外ショックじゃなかったなぁ~」と、
ライトな感じで書いて、戸籍謄本を挟んでおくという方法をとるんです。
なんでそんなことをしたかと言うと、
当時、母が私の日記を盗み見てたことを知っていたからなんですね。
本当に、本当に複雑な、ファミリーシークレットの多い、
機能不全な家庭でしたね。
母や祖父母からは沢山の与えられたものが、もちろんありますが
少なくとも、健康的なコミュニケーションの取り方といものは、
一切教えてくれない家庭でした。
「直接言ったら傷つけるけど、遠回しに示すことは傷つけない」という、
謝った認知が、正しい答えだと当時インプットされていたのだと思います。
そして、お互いの想いを胸に秘めたまま、
その秘密は決して口に出されることなく、年月は流れていくのです。
私が、そのことを母に始めて話すのは、
忘れもしません、24歳の初春でした。
結婚を直近に控えたある夜、私はこう尋ねたのです。
「父親は、もう再婚してるの?」と。
あの時、嫁に行く前に、この秘密を抱えている状態に、
なんとか決着をつけたかったんですよね。
でも「父親と本当は離婚したんでしょ?」と率直に聞くことが、
どうしてもできませんでした。
だから再びさりげない風を装って、そんな風に伝えたんです。
母は、一瞬息を飲みましたが「してるわよ~。」とさらり言った後、
さらに驚くべきことを言ったのです。
「あんたの父親はね、ギャンブルばっかりする人でね、だから別れたのよ。
一度、父親が再婚した相手から電話が来てね、
『こんなはずじゃなかった』って言ってたわ。
だから、『頑張って下さい』って言ったけど~」
と言うのです。
「え~~~~~~」っと私はびっくり仰天しました。
だって、そんな見ず知らずの再婚相手から電話なんて来るもんでしょうか?
少なくとも私も、前夫も再婚してますが、もちろん連絡なんてありません。
でも、その再婚相手もよっぽど辛く苦しかったに違いありません。
当時、自助グループなんてありませんし、
相談できる機関も相手もいなかったのだと思います。
「分かち合えるのは、前妻しかいない・・・」
そこまで追い詰められていたのかなって今なら想像できますけど、
当時は、ものすごく、そのへんてこりんな関係に驚きました。
そして母は、何を思ったか、箪笥の奥深くに隠していた、
風呂敷包みを持ち出して、見せてくれました。
そこにはなんと!さらに驚くことに、
大量の馬券や車券、舟券が包まれていたんです。
母はいつかこの馬券や車券、舟券を、
娘に見せようと思っていたのでしょうか?
何故、よりによって結婚前の娘に見せようと思ったのでしょうか?
その真意は全く分かりませんが、
「ほら見てよ~、もう本当に大変だったのよ~」
「調停員にも絶対2度と娘には合わせないって言ったのよ」
とか、これまで一度も口にすることのなかった、自分のの短い結婚生活の模様を、
母は堰を切ったように話しだしました。
私は、あの高校1年生の夜、そっと日記帳に戸籍を挟み込んだ自分を、
昨日のことのように覚えています。
複雑な気持ちで「ショックじゃない」と書いた自分。
日記を盗み読む母を知っていて、それでも日記を書き続ける自分。
母は、その後「嫁に行って、夫がこんな日記を読んだら傷つく」と言う理由で、
私に無断で、長年書きためた日記帳を全て捨てました。
親子は、お互いを愛し、気づかっているのに、
その表現の仕方や、守り方をしばしば間違えるものなのだと思います。
なんせ親子をやるのも始めてのことですから。
今の私は、母に一切のわだかまりがありません。
当時は、私も娘初心者だったし、母も母初心者だったんです。
段々人生経験を積んで、夫のギャンブル依存症の問題にぶち当たり、
過去の我が家を振り返った時、その初心者運転のつたなさに腹が立ち、
4年間母と口を聞かないという暴挙に出ましたが、
その行為もまた、コミュニケーションスクールの、
初心者運転だったと、今になって分かります。
ギャンブル依存症のお陰で、人生の第2章の幕を開けることができ、
今、私たち親子は穏やかな中級編を生きています。
過去にこだわり続け、2幕目を開けることができずに終わる親子も多い中、
私たちは本当に幸せだと思っています。
「子供は親を気づかって生きる本能がある」
だから初心者運転の時は、その優しさを上手く取り扱えず、
あっちゃこっちゃにぶつかり傷つくのだと思います。
やがてその傷を修復した時、
優しさの取り扱い方を知るのだと思います。
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リコさん今日のブログすばらしいですね(゜▽゜*)(いつもですけど今日は特別!!)
傷を修復をして、取り扱い方を知る。
まさにプログラムですよね。
優しさは愛ですね。