自己犠牲と無私です

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昨日、百田尚樹さんの著書「影法師」を読み終わったのですが、
もう恥ずかしくなるくらい泣いてしまいました。
しかも長崎からの帰りの機内で・・・
となりの若い男性は、さぞドン引きだったに違いありません。
どうもすみません。

いやぁ、本当に良い話でした。
是非、沢山の方にお勧めしたい著書です。
百田さん色々物議をかもしだしますが、
あの方の発言はともかく、作品は大好き。
まさに天才だなぁと思います。

で、この影法師、江戸時代の武士の友情が描かれた作品なんですが、
かっこい生きざまの彦四郎様という方が出てくるのです。
この人の生き方が、まさに私たち依存症者がプログラムで目指す、
自己犠牲と無私の愛を究極の形で示してくれます。

「こんな生き方ができたらなぁ」と、つくづく思い憧れました。
私なんか、凡庸な人間ですから、
自分の損得勘定をしたり、
疲れてくると、なんで自分ばっかり・・・と恨み節になったり、
誰にも私のプレッシャーなんか分かって貰えないと孤独に陥ったり、
そんなことで苦しむことは多々あります。

でもそんなことって自分で自分を苦しめているだけなんですよね。
誰かのせいじゃない、自分が造り出しているんですよね。
ですから、そういったものを超越した、つねに無私の愛で、
自分がいれたらなぁと度々思いますよね。

色んなことを考えずに、ただ目の前に来た人を愛し、助ける、
それができたら人生ってどれほど楽でしょうね~。

そしてやっぱり、自己犠牲については、
常に自分に求めていますけど、生涯かけて努力を続け、
一体どこまでいきつけるかなぁ・・・と言った感じで、
この小説のような究極の自己犠牲の境地にはまだまだ全然至っておりません。

自己犠牲って誤解されていると思うんですけど、
私たちが回復プログラムで身につけ、
そして目指す生き方は、決して共依存的に
「自分さえ我慢すれば・・・」なんてことではありません。

人生を俯瞰してみるような感じで、誰かの手助けをするためなら、
私利私欲を捨て、社会全体のために一番良い生き方を選ぶことだと思っています。
言うは易し、行うは難しですけど、
それを行い続けることがプロフラム・・・とあるので、
やり続けるていますが、なかなか自分が納得できるところに行けないですね。

実は、私の中には、常に心の中に、シーンとした悲しみの部分があります。
そこに触れると、何とも言えない申し訳ない気持ちになってしまうのですが、
それは死んでいった仲間達のことを考えると、
「助けられなかった」という後悔と罪悪感で、打ちのめされそうになるのです。

人は「りこさんのせいじゃない」と言ってくれます。
もちろん私も頭では分かっているんですよね。
でも、どうしても「自分だけこうして生き伸びて申し訳ない」
という気持ちになっちゃうのです。

これまでその思いは一度もなくならないし、
それどころか毎年誰かが亡くなっている現状があって、
その思いは強くなれど、弱くなることはないんですよね。

だから、心のどっかで自己犠牲を追及していくことで、
自分への贖罪の気持ちがあるんですよね。

また逆に、やりたいことを大胆にやれる部分も私にはあるのですが、
これも死んでいった仲間達のことを考えると、
なんていうか「本当は自分もなくしたかもしれない命だ・・・」
と思っちゃって、やりたいことやろう!って思うんですよね。

これはトラウマなのかもしれないし、
私の闇なのかもしれないし、頑張れるバネなのかもしれません。
分からないけれども、私の中には自己犠牲と無私の追求は、
生涯かけた自分への挑戦ですね。

究極の自己犠牲と無私の愛で、
誰かを愛せたら、人生はどんなにか素晴らしく、
そして楽になるでしょうね。

そうありたい・・・と思っていますが、
到達できる気はしないです。
多分、死の間際まで往生際悪く、
なんだかんだと悩んでいるでしょうね。

私と同じ、凡人の方は、
是非「影法師」読んでみて下さい。
あまりにも切ない、究極の自己犠牲と無私の愛に、
あなたもきっと涙すると思います。

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