親に秘密をもつことです
今日、ミーティングに出て、久々に母親との確執で、
苦しんでいた頃のことを思いだしました。
今では、母のことを愛して止まない私ですが、
かつては母は憎しみの対象でした。
口うるさい、過保護で過干渉、
貧乏を押しつけられ、自由がなかった、
あいつのせいで私はこうなった!
と本気で思っていました。
典型的なACですね。
けれども、じゃあ今なぜ母と良い関係になれたのか?
それはもちろん12ステップのお陰ですが、
12ステップで何が実践できるようになったのか?
と言えば、境界線ですね。
母と境界線がきっちりひけるようになったからです。
境界線は、相手がどうあれ、自分でひけるものです。
それが今では良く分かりますが、
以前は「母が境界線を守らない!」と怒っていました。
それは、とても苦しい状態でした。
苦しみに身をこがし、あちこちに出かけていた頃、
大きな気付きを与えられた、
忘れられないできごとがありました。
12ステップに繋がる前でしたが、
あれが一つのターニングポイントだと思っています。
それはあるカウンセラーさんに、
「母親に沢山秘密を持ちなさい。
残念ながらあなた方親子は分かりあえる日は来ないわ。
だから、あなたは自分の手柄を横取りされたはダメ。
自分でやり遂げたことを母親に「私のお陰」と言われないように、
失敗したら「だから言ったじゃない!私の言う通りにしないからよ」
と、言われないように、自分の中に成功体験を積み上げるの。
だから、母親にいちいち話さずに、秘密を沢山作るのよ。」
と言われ目からうろこが落ちたんです。
そうかぁ~それで良いんだぁ~!と、
すっごく楽になったことを覚えています。
何でも話してしまう、
ついつい母親が喜ぶようなことを言ってしまう、
これって習性だったんですよね。
そして母親の反応が、思いどおりじゃないと囚われる。
だから、母親が自分の嫌いなパターンで反応しそうなネタは、
最初から、言わないに越したことがなかったんです。
でも「家族に秘密があることは良くないこと」
という、妙な道徳概念があって、
なんでも話あって、分かりあうことが家族だ!
って思いこんでいたんですよね。
でも、本当は家族だからこそ、分かりあえなかったり、
囚われてしまうことって、沢山あるんだと思うんです。
だから、お互いが苦しまないように、
反応に囚われそうなことは言わなきゃいいんだ!
って教えて貰った時、本当に楽になったことを、
今でも良く覚えています。
だから私は、小学校の頃は優秀だった私に、
母が鼻高々で期待しまくっていた頃を彷彿とさせるような、
そんな展開になりそうなものは、
一切、言わないように心がけています。
TVもラジオも新聞も雑誌も、
何に出ても、母には一切知らせません。
古い人ですから、マスコミさんを尊敬しています。
勘違いしやすい年代です。
万が一母が勘違いして、自慢の娘のような態度や、
逆に、説教がましいことや、もっと頑張れ的なこと、
そのどれもが言われたら最後、
私をうんざりさせることが良く分かっています。
この世に、親の説教ほど役に立たないものはない!
私は、そう思っていて、自分の人生は自分で好きにデザインする!
母にデザインして貰う必要もないし、
母の好みのデザインに変更する必要もないと思っています。
一度、母が新聞を見ていて、
私のコメントが掲載されていることが、
バレてしまったことがありました。
大騒ぎで私を呼ぶ母の声を聞き、
心底うんざりしました。
「ありのままを愛して」「何も持たない私を愛して」
これって、子供たちの本能が求める、
真の愛の姿なんじゃないかなぁ~と、
最近は思っています。
だから、特に日常生活以外の会話をしなくても、
普通に穏やかにいられる、
今の母との関係に安らぎを感じるのです。
自慢の娘じゃなくても、平凡で特に何か秀でていなくても、
お金を沢山稼いでこなくても、
それでも、普通に思いやりのある関係である、
今が一番嬉しいのです。
母は私が何の仕事をしているか、殆ど理解していません。
独立したことも言っていないので、
恐らく知らないでしょう。
自宅にTVの撮影が来たりしても、詳しく話さないので、
「突撃!となりの晩御飯」に、
急に選ばれた通行人位に思っているでしょう。
何だか分からない仕事で、あまり儲かってもいなさそうだけど、
まっ、楽しそうに生きてるからそれで良いわ!
位に思って貰えることが、私としては一番楽な関係なのです。
だから、母がそんな感じでいられるように、
余計な情報は一切入れないように心がけています。
誰かの期待で生きていく人生は辛くつまらない・・・
身にしみて分かったので、
うっかり母に勘違いさせないように振舞っています。
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大人になっても私は、母のニーズに答える事に一生懸命でした。母との関係は何でも話して、わかり合える関係になれないので、不満でした。りこさんに出会い境界線を引くことを教わって、とっても楽になりました。