なんでも引退の風潮についてです

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最近、芸能人のお酒や薬物、ギャンブルの不祥事が出ると、
何でもかんでもすぐに「引退」となりますが、
私はこの風潮はとても疑問です。

また、これは一般社会でも同じで、問題がでるとすぐに「解雇」になります。
しかし、よく話を聞いてみると、解雇になるような問題が出る前に、
何度も兆候が現れてたりするんですよね。

ところが、その兆候に対しては、実に寛容だったりするんです。
すごく飲む人に対してとか、職場で競馬新聞を読んでいる人に対しても、
破天荒な人とか、無頼派なイメージで面白がっていたり、、
「しょうがない人」とあきらめていたりです。

そして、いざ問題がでると、即刻解雇で、
社会の片隅に追いやられてしまうので、
ますます依存症のめりこむしかなくなり、
家族と我々のような支援団体が、右往左往しながら走り回る・・・
こんな現実が続いています。

ですから、企業ももっとお酒、薬物、ギャンブル、そしてこれからの時代は、
ネットゲーム・スマホなど、人がはまりやすいものに対して、
「あれ、依存症かな?」とか「飲み方、賭け方に問題あるな?」いう意識を持ってもらって、
周りの人たちが、早期に介入できる仕組みを作って欲しいんですね。

芸能界なんて、タレントさんの素行に絶対に気付いているはずですよ。
「大酒のみ」とか「酒乱」なんて噂も出ているはずですし、
楽屋で四六時中ギャンブルやってる・・・なんてことも絶対にあるはずです。
そういう時に、診察を促して欲しいな・・・と思います。

それから、問題が起きた後ですよね。
もちろん被害者が出た場合は、その被害者の方の了承を取り付ける必要もあると思いますけど、
そうでない場合、例えば薬物の自己使用のようなものに対しては、
「引退」や「解雇」ではなく、それまで所属していた業界が、
きちんと治療につなげて、社会復帰させてあげて欲しいと思います。

依存症は別名「孤独の病」と言われています。
問題が発覚すると、これまでのつながりがすべて断ち切られてしまいます。
そして社会復帰の難しさから、ますます依存にのめりこんでしまう場合があります。

だから我々は「居場所」ということをとても重要に考えます。
人は誰しも、自分の身の置き所を必死に守っています。
それが奪われた時の絶望感は、
味わったことのない人にはわからないとは思いますが、
想像はしてみて欲しいんです。

そしてまだ安全な居場所がある人も、
いついかなる理由で居場所を奪われる時が来るかわからないのです。
「自分には絶対そんな日は来ない!」と思っていても、人生何が起こるかわかりません。
どんなに品行方正にしている!と思っていても、
他人の中で生きているのが人間なんですから、
相手がどう受け止め、何が起こるかなど全く分からないのです。

ですから、居場所を奪われた人たちを、他人事と思わず、
是非とも「回復して、戻っておいで!」と居場所を用意しておくことが、
当たり前と浸透していく社会になって欲しいんですね。

そうすれば、早期に相談することも怖くなくなりますし、
依存症を恥じ、隠し続け、重症化してしまうような、
今の悪循環を軽減していくことができると思っています。

皆さんは「失敗した奴は許さない!」とばかりに、人を追い詰めていく人と、
失敗した人に、手を差し伸べられる人と、
自分はどちらの人間でありたいと思うでしょうか?
どちらの人間になった方が、自分で自分を好きでいられるでしょうか?

私は、なんでもかんでも引退に追い込むような、
今の風潮は、恐れでやがて日本国民全部が、病んでしまうのではないかと思います。
また、業界の在り方として、あまりに無責任だと思います。
使えるときは使って、使えなくなったらツケは社会に押し付け知らんぷり。

依存症は普通の病気です。
自社のタレントや社員が病気になったのと同じ扱いをしていただければと思います。

私は、クリスチャンの幼稚園に通っていたのですが、
一つだけ強烈に印象に残っているお話があって、
今思えばあれ、マグダラのマリアのお話だったんですよね。

マグダラのマリアは娼婦ともいわれていますので、
さすがにそのままは幼稚園生に話せないので、
園長先生が、こんな風に話されたんです。

「ある嫌われ者の嘘ばかりつく女の人が、
『嘘つき女!』『この町から出ていけ!』
と、街の人から石を投げられようとしていました。

そこにイエス様が通りかかり、
『この中に、嘘をついたことがない人間だけは、この女に石を投げてもよい。』
と、おっしゃいました。
すると、街の人はみんな石を置いて去っていきました。」

この話に、幼稚園の私は衝撃を受けたんですね。
なぜなら、もちろん幼稚園の私もたくさん嘘をついていたからです。
なんせ登園拒否児だったもんですから、
毎朝「おなかが痛い」などと嘘をつき、母とバトルをするのが常だったのです。

思えば、人生で最初の教訓が今の私につながっているような気がします。
マグダラのマリアは、助けてくださったイエス様に感謝し回心して、
生涯イエス様に尽くされます。
今の私も回復に感謝し、助けてくれた仲間たちに尽くそうと思っています。

依存症者もそうでない人も、このマグダラのマリアのお話のように、
違いはわずかではないでしょうか?
だからこそ、失敗に手を差し伸べられる社会を作りたいと願っています。

[田中紀子の著書]
三代目ギャン妻の物語(高文研) ギャンブル依存症(角川新書)

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