国は教育費を惜しまないで!です

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世界水泳、瀬戸大也君見事な金メダルでしたね!
日本の男の子の意地を見せてくれました。
本当におめでとうございます。

睡眠不足に拍車をかけた世界水泳も、
今日で終わってしまうと思うと、
ホッとするような残念なような、
でもまだ熱闘甲子園があるし~、
スポーツ観戦好きな私の夏はまだまだ終わりません。

しかし若い人が頑張っている姿はいいですね~。
こっちも応援に気合いが入ります。
次世代を担う若者のことは、応援するのが大人の責任、
って誰でも普通に考えるものだと思っています。

ところがここ数か月、この国は若者にお金をかける気があるのか?
と、国の政策に対して疑問を感じていて、
今日、大学の先生をやっている仲間に、話を聞いて、
やっぱり、この国は若者の未来をどう考えているんだろう?
とかなり不安になりました。

というのもつい昨日、私立大学に対し、定員の1割を上回る、
学生の補助金を全額カットするという決定がなされたというのです。
これまでは、2割を適用されていたのに、
今度から1割を上回ったら、全額カット。

この少子化が進む日本で、何故子供たちへの教育費の補助を、
削減しようという動きになるのか、
本当に理解に苦しみます。

以前から申し上げている通り、出生率が1.66%まで落ち込んだフランスが、
一気にV字回復を遂げ、子供を3人4人と産むようになった背景には、
高校までの教育費を無償化したことも、
大きな要因の一つです。
そして、大学の学費はほんの数万円程度です。

若者の教育は国が負担するものという考えが、
フランスをはじめとするヨーロッパ社会には行きわたっています。

逆に、学費が高くて有名なのはアメリカですね。
でもそのかわり、アメリカは返さなくて良い奨学金も沢山あります。
日本のような奨学金とは名ばかりの、
借金制度とは違います。

私は、日本の格差社会の歯止めには、
教育を受けるチャンスの格差を是正する必要があると、
常々考えていて、大学も無償に近い金額で、
だれでも教育が受けられる社会にして欲しいと考えています。

アメリカのような格差社会に陥って良いのか?
日本は今こそ、真剣に考える時がきていると思っています。

しかもこうして補助金が打ち切られることで、
被害を受けるのは、受験する子供たちとその親たちで、
学費があがるのは必須だし、
大学の定数が削減されることで、
希望の大学に入学できない人たちが、
どっと増えるわけです。

つまり困るのは大学側じゃなくて、
我々子供を抱えた一般人のほうですよね。
全然、国民のためにもならない、
意味不明の補助金カット。
これが、新国立競技場で莫大な予算を使おうとしていた、
同じ文科省の仕事だとは到底信じられません。

うがった見方をすれば、
大学の補助金をカットと言われても、
私たち一般庶民はピンとこないわけです。

それは、地方行政に対する、予算削減措置と
同列のモノのような気がして、
例えば、理事の人件費が削減されるのかな?とか、
無駄な買い物が減るのかな?
といった行政改革のようにイメージしちゃうわけですね。

ですから、反対のムーブメントも起こらない。
自分には関係ないものと思うからです。

でも実際には、希望大学に入学できる人数を減らし、
もしそれで大学の経営が立ち行かなくなったら、
授業料値上げして、親たちから貰ってね!
っていうことじゃないですか。

でも、そんなことに皆気が付かないじゃない・・・
だからこんなやり方を、政府は押し通してしまおうと、
お考えなのかな?と思います。

最近の、文科省さんの動きは、
迷走していて、とにかく誰のための文科省なんだろう?
と全く向いている方向が分かりません。

特に「国立大学の文学部廃止」というのも、
冗談だとばかり思っていたら、
真面目に考えられているお話しだというので、
とても驚いております。

人文社会学部系を廃止して、
理系に力を注ぐ、
その分しかお金ないんだよねってことらしいんですが、
いつからこの国は、理系と文系にまで、
格差をラベル付けするようになったのでしょうか?

大学は社会に出た時の即戦力を養成せよ!
とのお考えからだそうですが、
社会に出てからの即戦力と、
好きな学問を大学で学ぶことの因果関係は、
あきらかになっているのでしょうか?

エビデンス、エビデンスと、
なんでも証拠がなきゃ信じない!というお役所が、
これほどまで根拠のない、机上の空論で、
ここまで教育の機会をぶった切るようになるのかと、
非常に不安で、不信感を感じます。

私は、国文科を卒業しましたけど、
社会では自慢じゃないですけど、即戦力になりましたよ。
少なくとも、会社のノルマを達成できなかったことなどありません。
新入社員NO1賞も頂きました。

大学での専攻と、社会に出た時はなんの関係もない仕事でした。
なんせ、卒論が太宰治ですから、
そんな暗い話、デパートガールには1ミリも関係ないです。

でもですよ、社会経験を積んでいくうちに、
どんどん適正なんて変化していくものですし、
大学での学びが、人生のどこで役立つかなんて、
全く分からないじゃないですか。

少なくとも今の私には、国文科が役立ちましたよね。
本も書けたし、社会に依存症の問題を発信する際の、
文章を作ることができています。
専門書も読めるし、まがりなりにも論文も書けるようになりました。

当たり前ですけど文学部だって社会で役立ちますよね。
また仕事で役立たなくったって、
学問には意義があるじゃないですか。
学ぶこと自体に意義が。
一体いつからこんなみみっちい国になったのでしょうか?

私は、理数系は全くダメで、
もっと言えば国語しかできない学生でした。
国語だけ、偏差値が70以上あって、
社会が平均よりちょっと上ぐらいで、
英語とか理科とか数学は平均以下も以下でした。

それでも学校に居場所があったのは、
ある意味、国語という強味があったからですよね。
国語で自尊心が保てたし、
何よりも唯一楽しいと思えた勉強が国語でした。

大学も迷わず国文科に進みましたし、
ってかそこしか受からなかったんですけど、
これからの時代、私のような学生はどうなっていくのでしょうか?
大学で学ぶチャンスを奪われるのでしょうか?
どうして太宰研究は、数学より劣ると決めつけられたのでしょうか?

私は、文学があったから、辛い青春時代を
生き延びたとも言えます。
本の虫でした。

そんな学生、いつの時代にもいると思いますが、
これからそういう学生はどうなっていくのでしょうか?

そして何よりも一番怖いのは、
依存症の問題も全く同じですが、
自分たちの身に大きく影響する、
政治の動きなのに、私たち国民が、
なんの関心も示さず、無関心にスルーしていることです。

安保も大事かもしれませんが、
その裏で大きな変化がどんどん起こっている、
現代日本にちゃんと国民が声をあげていくべきではないでしょうか。

国には、補助金をカットしていく、今の時勢に、
是非再考を願い、むしろ大学までは、
希望者は行きたいところにいけるチャンスを、
平等に与えて欲しいと思っています。

そして、我々国民は、国民に不利益をもたらすような政策には
きちんとNOという姿勢をしめし、
そんな政治家の先生は選ばない!
と、しないといけないと思います。

国はもっと子供たちの教育にお金をかけ、
次世代を大切に育てて欲しいと思います。
教育にかけるお金を削減するような国に、
明るい未来があると思えません。

そして、学問にも格差社会、優劣を持ち込むのは、
本当に止めて欲しいと思います。

文系卒業の社会人の、大規模アンケートでも
やりたい気分です。
社会で活躍している人なんか、腐るほどいると思いますよ。

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