横浜セミナーで考えたことです

公開日: 

今日は基礎講座in横浜でした。
いつもそうですが、その日になって気がつく、
「連休の真ん中じゃないかぁ~!」ということに・・・(笑)

なので、「人集まるかなぁ~?」」と思ったんですが、
ふたを開けたらビックリ!
会場は満員御礼。沢山の方にお越しいただきました。
感謝!感謝!

やっぱり基礎講座は一番人が来て下さいますね。
「困っている人」「実際携わってくれてる人」といった、
共感を持つ方々が、情報をキャッチされるのかと思います。

そもそもうちのような非営利で、
情報提供を無償でやりま~すなんて、
奇特な団体がないですもんねこの世に(笑)

私たちって、皆どっかで情報をキャッチして、
そのお陰で助かってきてるんですね。
私の場合はやっぱりギャン妻のブログだったし、
精神保健センターその他の情報をつかんだ仲間もいます。

で、人生が劇的に変わったわけです。
絶望しかない人生が、希望に変わって、
人生の大部分を占めていた悩みが、
いつの間にかちっぽけなものになって、
しかもそのうち笑い話にまでなっちゃった!

その上、自分の生き方を変えるきっかけを与えてくれた、
ギャンブラーに感謝の念まで湧きますからね~。
「夫がギャンブラーでよかったなぁ。
お陰でこんな面白い人生になったわ。」と、
本気で思ってますからね、私たち。

だから、最初のきっかけをくれた、
情報を発信してくれた人には、とっても感謝しています。
そして、どんなに細い蜘蛛の糸でも、
とにかく助けの絆は繋いでいかなきゃ!って、
助けて貰ったお返しを、そんな形で現わしています。

自分が助けてもらったお返しは、
次の誰かを助けることで返す。
これが私たちの不文律なんです。

だから、私たちの仲間は皆、
これまでのギャンブラーの借金問題に巻き込まれ、
すっごい沢山のお金を失って、
今も不自由な生活を余儀なくされてるのに、
こういうメッセージ活動には気前が良い仲間が多いですね。
だからこの基礎講座続いてるんですよね。

会場費?皆で割り勘で良いじゃん!?
みたいなのりでやっちゃってます。
「今度どこでやる?」「この辺仲間が少ないから、この辺りは?」
「いいね~そうしよう!」みたいな、
ノリとインスピレーションで開催地を決めてます。
で、ちゃんと困ってる人が沢山集まって来てくれるんですよね。

講座のアンケートで一番多いのって
「明るくパワフルで驚いた!」っておっしゃって頂くことです。
これ私たち一番大事にしていることです。

辛く、悲しく、痛みに耐えている生活を余儀なくされていると、
相談に行くことすら勇気がいるんですよね。
もうその気力すらない。
そんな中でやっとの想いで出かけて来たのに、
益々暗く、絶望するようなセミナーだったら、
もう二度と助けを求める気になんかなれないじゃないですか。
昔はそんなセミナーも多くて、嫌な気分になったもんです。

だから私たちはもう希望しか届けたくないですね。
JUST DO IT!やってみようよ!
私、この「人をやる気にさせる」天才だと思ってます(笑)

で、今回つくづくわかったんですけど、これまでやったセミナーで、
「政策を考えよう」とか「社会問題としての依存症」みたいなテーマで、
広く万人に訴えかけても、ホントぜ~んぜん人って集まらないんですよね。

よっぽど好奇心旺盛な方か、社会問題に興味があるか、多少仕事で関わりがあるか・・・
こんな感じの方が若干名集まって下さるだけで、
殆どの世間の方は無関心、無反応というか、
おそらく情報が通過しちゃうんだと思うんです。
目から情報が入っても、「関係ないな~」って脳が判断して、
情報をキャッチするに至らない、
深く考える前に、スル―しちゃうんだと思います。

例えば、我が家には老人がいますけど、
どっかで老人介護の問題についてセミナーをやっていても、
その情報をキャッチしたことがまるでないのと同じですよね。
自分に関係があると思えないし、その政策を考えると言われても、
「へ~そうですか、ご苦労さまです。」って感じです。
最初から委任状提出して「役員一任」に丸する感じですね。

「あなたも介護保険払ってますよね、関係ある話ですよ」とか、
「お宅のお母さんにもいつ問題が降りかかってくるかわかりませんよ」
と言われても、全然興味がわかないです。

「まぁ、この世は助け合いですから、ちょっとは負担もんでしょ。」とか、
「うちは、身体丈夫だから介護にはならないし」と信じてるので、
わざわざ時間と労力を割いて「話を聞いてみよう」なんて、
全然思わないですもんね。

でも、もしこれが自分の家に介護の問題があったり、
介護に関わる仕事をしていたら、
介護に関する情報はキャッチしまくりだし、
セミナーにもきっと行きまくるでしょう。

でも本当は、自分にも目に見えない負担は沢山降りかかっているし、
介護のシステムがきちんと機能しなかったら、国力は衰えるばかり。
自分はOKでも、子供たちの代はどうなるのか?とか、
問題は山積みじゃないですか。
依存症も全く同じですよね。

でも今目の前に問題がないと、
自分が考えることじゃないしって思っちゃう。
そう考えると不思議じゃないですかぁ?

んじゃ、世の中のあらゆる問題の仕組みって、
その問題が与えられた人が考えてるってことじゃないですかぁ。
ってことはですよ、生涯に一人ひとつくらいは、
自分の人生の命題を抱えてるわけですよね。
そこに真摯に向き合い、取り組む人かどうかの違いがあるだけで。

私もっと、世の中の問題って、偉い人が考えてるんだって思ってたんですよ。
政治家の先生とか、官僚の皆さんとか。
そういう人には千里眼のような頭脳があって、
世の中の問題を発見し、解決する仕組みを作っちゃうんだ!って
思ってた節があるんですね。

でも、そうじゃないなぁ~、やっぱ問題の発見とか、
改善策って、その問題に直面した人しかわからないし、
その人たちの意見を集約して仕組みを創る人が
政治家の先生とか、官僚の皆さんなんですよね。

ってことはですよ、み~んな人生に大きな課題が与えられるわけで、
一人ひとつはなんかあるはずですよね。
そう考えると、なんかワクワクしちゃって、
他の課題を与えられた人に負けずに頑張るぞ~!
なんて気持ちになっちゃうんですよね。
変でしょうか(笑)

ある意味、人間なんて皆負け組で、そこ平等なんですよね。
でもその平等に与えられた命題に、
どう生きるか?だけが違うんですよね。

そういうこと昔は分かんなかったです。
自分はついてない不幸な境遇だけど、
何もかも恵まれた人がいて、この世はずるいって思ってました。

でも、そんなことないし、
問題=悪じゃなくて、本当は
問題=恵みであり、
問題=使命であり、
問題=財産
だよなぁって思うんですよね。

境遇は平等なんかじゃないけど、
やっぱ人生の本質は平等なんだわ・・・
と、そんなことを感じた1日でした。

クリックでランキングがあがります。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へ
にほんブログ村


依存症 ブログランキングへ
皆様、応援をお願いします。

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

Your Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP ↑