心配をかけるsakuraです
映画「ハチミツとクローバー」のオープニングに、
「桜は散ってしまうと少しホッとする」
という名言がありますが、実によく日本人の桜魂を現わした言葉だと思いませんか?
桜は、一瞬で咲き誇り、一瞬で散る。
そのあまりの美しさと、はかなさに、
日本人は魅了され続けてきたわけですが、
桜はあまりに私たちを心配させる花でもあります。
週末は咲くだろうか、いつ満開になるのだろうか?
そして満開になれば、雨が降らないだろうか?風は吹かないだろうか?
と、一日でも長くその美しさを眺め、楽しみたいと、
私たちは心配し続けます。
だから桜が散り、桜の季節が終わると、
私たちは一抹の寂しさと共に、
どこかホッとするのではないでしょうか。
心配と言うのは「心を支配されること」を縮めて「心配」じゃないかな?
と勝手に思っています。
一度、金田一先生に伺ってみたいものですが・・・。
だから心配と言うのは、自分の心がたまたま支配されているだけで、
それが真実でもないし、現実でもないんですよね。
私たちは、不思議なことに、桜の季節が終わってしまえば、
桜のことを思い出したり考えたりすることは殆どありません。
もちろん桜の木を心配することも全くありません。
けれども、また桜の季節が巡り来れば、
私たちは桜の花が1日でも長く咲くよう、
日本中で心配しているのです。
桜の花のことを考えると、いつも私は、
「依存症ですったもんだしている家族みたいだなぁ」
と思います。
手放してしまえば、気にならないのに、
目の前で見ていると、心配ばかりする。
あまりにいとおしく、深く愛し、特別な思い入れがあるために、
「あぁ、この美しさをずっと見ていたい。今が続けばいいのに」
と思うんですよね。
でも本当は、あっという間に散ってしまうからこそ、
人々がこれほどまでに熱狂するのであり、
そして、季節が廻れば、黙っていてもまた花は咲くんですよね。
人生も同じで、美しく花が咲く時もあれば、青葉を茂らすときも、
花も葉も枯れ、じっと寒さをしのぐ時もある。
けれども、時が過ぎれば、再び花は必ず咲くんですよね。
「本当に咲くかしら?」と疑う必要もないし、
綺麗な花を咲かせるように、
となりの木の根や幹が、栄養をまわしてあげることもできません。
でも、信じて見守っていれば、やがて花は咲く。
依存症の家族に必要なのって、
この信じて見守ることなんだよなぁって思います。
毎年、桜の花が巡ってくると、
今年も眼福を味わえたと感謝の気持ちでいっぱいになります。
そして、生命力を感じ、前向きな気持ちでいっぱいになります。
桜をみると、人生を大切に生きようという気持ちになるんですよね、私。
だから西行さんの気持ちはすごくよく分かります。
もちろん私もそうありたいと願いますが、
あと50回は桜に巡り会いたい!
そう簡単に、この季節の美しさを目に焼き付けることはやめないぞ!
と思ってます。
「願わくば花の下にて春死なん、その如月の望月のころ」
人を魅了するものに、人は惹かれるんですよね。
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