死ぬ前1ヵ月~我が家の経験~です

公開日: 

只今、「文學界」(文藝春秋)2019年1月号に書かれた、
落合陽一氏と古市憲寿さんの「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」と題する対談が、
めちゃくちゃ炎上しておりますが、この記事、医療費や終末医療の素人である私が読んでも、
「そりゃ炎上しますわな・・・」というお粗末な内容で、
私から見るとあんな賢い人達(と思われる)が何故?とびっくりしています。
リテラやTogetterに詳細な反論が載ってますので、ご興味ある方はご一読を。

古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が(LITERA)

落合洋一氏、古市憲寿氏、荻上チキ氏の議論(終末期医療などをめぐって)~2019年1月※3日現在、議論継続中(togetter)

リテラさんは、背後に財務省の入れ知恵が!とありますけど、
私はただ単に、古市さんが専門外で知識も曖昧な自説に自信がないんで、
「虎の威をかる狐」的に財務省なんて言い出したんだと思いますけどね~。
もし本当に友達と議論を交わしたなら、こんなことべらべら書いてさらしたりしないと思います。

第一、私が言うのも僭越ですけど、炎上商法が売りの、この程度の小者って言ったら悪いですけど、
タレントなんだか学者なんだかよくわかんない人をわざわざ使って、
財務省もプロパガンダしないでしょうよ・・・今回のように返り血浴びるの分かってますもんね。

なんでもお二人の主張は、
「社会保障を削ればこの国の寿命は延びる」
という御説で、私なんかからみると「いやいやそれ逆でしょうよ」と思いますし、
他にも突っ込みどころが多数ある税金の使い道のうち、なぜ社会保障費をまず削れ!となるんだろう?
と色々疑問はありますが、それは今回はさておき、びっくりするのは古市さんの、

「財務省の友だちと、社会保障費について細かく検討したことがあるんだけど、
別に高齢者の医療費を全部削る必要はないらしい。
お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の一ヶ月。
だから、高齢者に「十年早く死んでくれ」と言うわけじゃなくて、
「最後の一ヶ月間の延命治療はやめませんか?」と提案すればいい。

というこの部分ですよね。

へっ?最期の1カ月って、そもそも誰がどうやってわかるの?ってことですよね?
いや、それ分かるなら、是非とも教えて下さい!私が死ぬ時に是非。

この件、勉強できても経験がないのか?想像力がないのか?わかりませんが、
バカな話だなぁ・・・と私なんぞ一刀両断に思っちゃいますね。
老人の域に入ってくると、死にそうで死なないってのを、かなり長い間繰り返すんですよ。
絶対に、この治療が無駄かどうか?余命1カ月かどうかなんて分かんないんですよ。
介護や老人と同居してる人なら誰でも経験あるはずですよ。

うちの祖父など、70代で脳梗塞で倒れて、ガーガーいびきかいて寝てて、
「あ~、もうダメだ」ってことで、医者も言ったし、家族もそう思ったのに、
ある日何故か分かんないですけど、不死鳥のようによみがえりましたからね。
あれはなんだったんだ?と全員で不思議がったものです。

それからガンですよね。80代で、ものすごくでっかい大腸がんになって、
医者に「もうこの年だから手術やめますか?やりますか?」って聞かれて、
親族一同迷ったんですけど、なんせ本人元気なもんですから、
なんとなくこのまま死を待つってのもなぁという気がして、手術して貰ったんですね。
で、空けてみたらどこにも転移してなくて、患部も綺麗にとれたとかで、
そこから20年近く、99歳になるまで生きたんです。
医者がOPE後に「大したもんです腸は50代の若さです!」って言ったんで、
家族全員が「憎まれっ子世にはばかる・・・」という言葉を頭に浮かべたもんです。

さらに、思い出深いのは祖母です。
祖母は、祖父と違って、もともと虚弱体質で線の細い人だったんですけど、
糖尿病が悪化して、腎臓病になったんですね。
で、入院中に見る見る身体がむくんできて、幻聴や幻覚が出てたんですね。
話しも全然伝わんなくて、なんにも置いてないのに見舞いに来た私に、
「この餃子、食べな。」なんて言うようになったり、
突然天井を見つめて「おっかさ~ん!」なんて呼びかけたりして、
「あぁ、もうホント死んじゃうんだな」って思ったんですよ。

でも、お医者さんが、
「このままなら1週間で死にます。
ただ、透析をすればもう少し生きることができますが、
年も年だし相当な負担が本人にも家族にもかかります。どうしますか?」
って聞いたんですよね。

この時は、母と二人本当に迷いに迷いました。
だって、透析ってずっと入院したままやってくれるわけじゃなく、
退院して、週3日通わなきゃいけないってことで、しかも老人だから時間も半日くらいかかるし、
一度やったらそれは死ぬまで続くって言うじゃないですか。
それもう我々共倒れパターンですよ。

でもやったんです。
私は嫁に行ってたんで、食うに困らないしってことで会社辞めて、バイトに代わって、
祖母を車で透析に連れていったんです。
あの介護時代は本当に大変でした。

だけどそのお陰で、そこから祖母は2年間生きたんです。
幻聴や幻覚も収まり、頭もまたしっかりしてきました。
ただ祖母はそこから段々手足の先が壊死していって、
「痛い痛い」で、介護にあたった私は本当に地獄でした。

でも、最後までおばあちゃんは死ぬことを拒否してましたよ。
死にたくないと思っていました。
「早く良くなりたい。」それしか言ってませんでしたもん。
人間ね~、最後の最後に本当に延命を拒否するかっていったらですね、
それは微妙ですよホント。
私なんか絶対すがりつく気がするし、家族も思いきった決断なんか簡単にはできないです。

でも、その2年間で良い事も沢山あったんです。
私は、もう1ミリも祖母の死に対して悔いも罪悪感も残らなかったです。
やるだけやった!と思いました。

そして、元気な頃は本当に悪態しか言わず、
なんていうクソババァだと思っていましたけど、
最期は何にでも「有難う」と言うようになっていました。

そしてですね、一番の思い出は、死ぬ直前の夏、
再び入院となったおばあちゃんを車いすにに乗せて、
千駄ヶ谷にあった病院の屋上にあがっていったんですね。
そして二人で神宮の花火を見たんですよね。
ホント目の前で上がる花火を「綺麗だね~」って、
あの光景だけは今も忘れられないですね。

あの、曲者のばぁさんと、あれだけ穏やかに過ごした時間は、
あの一瞬しかなかったんじゃないかなぁと思っています。

どんなに愛憎うごめく家族でも、
最期の最期に延命をやめるというのは勇気がいるし、
それをすることでのちのち後悔をひきずるかもしれません。
樹木希林さんのように、ご本人がまだ意識がはっきりしている際に、
医師や家族に自分の希望をきっぱり伝えといてくれて、
その信念が貫ければいいですけど、そんな人の方が少ない気がします。

下手すりゃ、親の延命をやめたせいでのちのち
「うつ病」などの心の病を発症する人だって、普通にいると思いますよ。
そうなったら、そういう治療費の方が絶対高くつくと思いますし、
それこそ与党の皆さんが大好きな「生産性」が下がると思います。

人の死というのはどんな人であっても決して割り切れるものなんかじゃないです。
まして、死の1ヵ月前に自分の死の訪れがわかる訳もないし、
延命することで、どうなるかも誰にもわからないです。
延命は当事者のためでもあり、家族のためでもありますもんね。
死の落とし所を見つけるための必要な時間でもあると思います。

我が家の一番の問題はですよ、
共依存同士で生活能力のない祖父母で、口が悪くて、死ぬまでパチンコをやって、
我々母子に頼りっぱなしだった、あのクソジジイとクソババアのことが、
嫌いじゃなかったってことなんですよね。

本当に、あんなに憎たらしい老人は、
この世になかなかいないと思うんですけど、
でも、私は好きだった。
だから決断できなかったし、天寿を全うしてくれたことにホッとしてるんです。

人の心って本当に複雑です。
割り切れるもんじゃないです。
それがわからない人達が、人の死までも制度設計しようと思えるんですよね・・・

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