お別れです
今日は、朝から悲しいお知らせが飛び込んできました。
夫の仙台の仲間が、突然亡くなったというのです。
この仲間の奥様は、もちろん私たちの仲間です。
夫から連絡を受け、「うそでしょ!」と大ショックでした。
すぐに、近所の福島の仲間に事実を確認した所、
福島のお父さんと、お母さんから「本当だと」聞きました。
たまらず、お父さんと電話で話しました。
私、このご夫婦が大好きでした。
本当にたまにしかお会いしませんけど、
いつも仲が良くて、とくに奥様であるNさんは、
私よりずっとずっと先ゆく仲間ですけど、
謙虚で、おだやかで、誰にでも優しい人です。
まだ、本当に初期の頃から、沢山の仲間を助け、
グループを守って来られました。
私たち、後から来た仲間から皆に尊敬されています。
ご主人がなくなって、どんなに淋しいだろうなぁと思うと、
私も、たまらなく淋しくなります。
人の死はいつも突然やってきますが、
誰の死でも、向き合うことは悲しく、時間がかかります。
仲間や、仲間の家族の死はこたえます。
特に、若くして亡くなった場合はショックも大きいです。
天寿を全うしたと言われる年齢なら、多少はあきらめがつくし、
なによりも納得ができます。
けれども、皆に愛され、必要とされ、頼られ、
大切なご家族がいて、ご夫婦仲も良くて、
それでいて早すぎる死。
納得がいかないし、神さまの意図もわかりません。
人は皆、いつか死ぬ。
分かってはいますが、意識はしていません。
でもそのいつかは、いつも突然やってきて、
私たちを驚かせ、落胆させ、悲しみの淵へと突き落とします。
Bさんはもういないんだなぁと、声に出してみたら、
また悲しくなって、涙がでます。
いつも優しくしてくれたなぁ・・・と、良いことしか想い出しません。
なによりもNさんが淋しいだろうなぁと、それが一番悲しいです。
仲間には長生きして欲しいです。
90歳とか100歳になってもミーティングで会いたいです。
年配の仲間のことが急に心配になってしまい、
別れを想像したら、不安でたまらなくなったので、
考えることをやめました。
でも、どんなに肉体が滅んでも、
想い出や、その人の優しさや、本質や、真心や、笑顔は、
いつまでも私たちの記憶と心に残っています。
だから、肉体がなくなっても、私たちの中には生きていると、
信じていくことはできます。
本当に大切なモノは目に見えない。
でも、心の目ではいつでも見れて、
心の中ではいつでも感じることができます。
そして、きっと私たちを守るハイヤパワーとなっていると、
信じることもできます。
それでもやっぱり人の死は悲しい。
そう思います。
仲間には長生きして欲しい。
想い出すと、自分でもびっくりするくらい、涙があふれてきます。
残念でならないです。
悲しいといっても、淋しいといっても傷つける気がして、
こういう時はなんて言ったらいいのか分からないので、
Nさんにも連絡ができませんでした。
好きな人が亡くなると、結局何もできません。
ただ、おろおろと一人で悲しんでいます。
ご愁傷様ですとか、ご冥福をお祈りしますとか、
そんな言葉もなんか全然しっくりこないんです。
もし、自分の気持ちを正直に伝えられるとしたら、
「ありがとう」だなって思います。
今でも、奥様のNさんが嬉しそうに、
「Bちゃんが、プログラムやってくれたんだよ~」と
電話で伝えてくれた、はずんだ声が忘れられないです。
あの、Nさんの電話が、私すごく嬉しかったんだなって思います。
だから、今はBさんに、
「ありがとう」って伝えたいんだなって思います。
私、Nさんのことが大好きだから、
だからNさんをあんなにも幸せに包んでくれたBさんに、
心から感謝しているんだと思います。
Bさん本音を言えば、もっともっと長生きして欲しかったです。
何で、Nさん残して死んじゃったの?
淋しいじゃない!って言いたいけど、
でも死はBさんのせいじゃないです。
だから我慢して受け入れます。
ありがとうBさん。
Nさんと幸せに暮らしているBさんを見るのが好きでした。
合掌
自助グループにご夫妻で参加され、多くの仲間を助けて下さった方なんですね。先行く仲間のお陰で今の私も私達家族も支えられています。多くの仲間との繋がりが大切なものだと感じられます。Bさんのご冥福を心よりお祈りします。