共依存ほど厄介なものはないです
最近つくづく「正義を振りかざす共依存ほど厄介なものはない」
と実感しております。
そもそもはた迷惑な共依存を発揮しまくる人というのは、
かつての私がそうだったから良く分かるのですが、
人生の価値観が一つしかない!と信じていて、
なおかつ自分の人生観は至って普通で常識的で、
間違いのない、最良の道と信じて疑っていないんですよね。
で、それを人にも押し付け、強要する。
やらせようと必死になる・・・
この辺から、周りの人にとってはた迷惑な人となるわけですね。
また、言うことが正論一辺倒だったりすると、
「おっしゃることはごもっとも・・・」
と、何も言えなくなり、周りの人の自尊心を傷つけまくり、
自己肯定感を下げまくり、最悪の場合、
相手が自分の人生を、自力で立てなくなるまで、
叩きのめすことになります。
そうやって自分に跳ね返ってくるわけですね。
でもね~、最近つくづく分かりましたが、
価値観て一つじゃないですし、なんでもありだなって思うんですよ。
逆もまた真なりって、昔の人はつくづく良いこと言いますよね~。
ちなみに私なんて、度々書いてますけど、
ホント価値観が人と違う所が多々あり、
よく驚かれます。
でも、これもまた「あり」じゃないですかぁ~。
だって私は実際これで生きてるんですもん。
例えばですね、私はこんな風に考えているんですね。
何度か書いたことがあるものもありますが、
〇忘れ物はサバイバルゲーム。
⇒なんとかしようとするスキルが身につき、
頭の体操にもなり、機転がきくようになる。
〇支払わなければならない金は、できるだけギリギリまで支払わない。
⇒人間いつ死ぬかわからない。死んでしまったら、払わなくても良いものを、
さっさと払うのはバカバカしい。
死んだらチャラにしてくれる、住宅ローンを繰り上げ返済するなど気がしれない。
〇人生借金を残せたら勝ちで、貯金を残したら負けだ!
⇒自分のお金を使いきれずに死ぬなんて愚の骨頂。
最後まで借金をまわせたなら、本来使えないはずの金額まで使えたことになりラッキー。
金は貯めるものではなく、まわすもの。
〇老後は、家族などの枠にとらわれず、風来坊として生きたい。
⇒子育ての責任を終えたら、自由に生きたい。
家族がいないと老後が淋しいなんて1ミリも思わない。
どんな環境でも、淋しさを埋めるのは自分。
〇食えなくても、好きなことをやれ!
⇒貧乏でも、好きなことをやってれば割と色んなストレスに耐えられるから。
どうせ現代は嫌いな仕事を我慢してやっても、ロクに食えない。
〇バブルは生涯終わらない。
⇒あの時代の華やぎ、自信と誇りを忘れずに、
悪いこと等起こるはずない!と強気で生きろ!
どうせ、せこせこ防御に回っても、大きな時代の転換点が来たら、
一個人など、なすすべない。
〇大事なことは、直感で決めろ!
⇒どうせ色々考えたって、何事もやってみなけりゃ分からない。
〇バランスなんか取ろうとするな。
⇒そういうこと考えると、ちんまりしそうだから。
限界まで突っ走ってみたいから。
〇マラソンと山登りは身体に悪い
⇒単なる偏見。足の軟骨がすり減りそうだし、自分が嫌いだから
〇生野菜は体に良くない
⇒単なる偏見。身体が冷えそうなのと、自分が嫌いだから
〇肉とあんこは体に良い
⇒単なる偏見。自分が好きだから。
〇休みすぎと寝すぎは身体気悪い
⇒実際、身体がダルくてたまらんから
とまあこんな信念と偏見を持っているわけですよ。
どうですか皆さん。
気が合う所、合わないところがあると思いますし、
ある人から見たら「それは間違っている!」と思うかもしれません。
でも、私は、この価値観で、特に支障なく生きてるわけですよ。
どっかの誰かが、
「いや生野菜は積極的に食べるべきだ!」
「貯金をして老後に備えろ!」
「山登りはすがすがしい」
と言ったとしても、私は「あっそうですか」とは言うかもしれませんけど、
口だけで1ミリも響いてません。
だからですね、自分と共感できる人と盛り上がればいいし、
共感がなくても、そう言う人もいるのだろう、
と流せるようになることが、人生楽になる秘訣なんですよね。
「こうあるべき!」と「これが正しい!」というとらわれは、
相手に向けているようで、実は自分を苦しめているだけなんですよね。
くわばら、くわばら・・・
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